歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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【秀山祭九月大歌舞伎】初代吉右衛門伝説!

ただいま歌舞伎座で上演中の

秀山祭九月大歌舞伎

先日「秀山祭」という言葉の意味についてお話しました(人'v`*)

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この「秀山祭」そもそもの由来である初代吉右衛門がどのような方であったのかを、僭越ながらほんの少しだけお話したいと思います!

生い立ち

明治19年(1886)浅草で三代目中村歌六の長男として生まれました。

猿若町の芝居茶屋・萬屋吉右衛門の娘を母にもち、 初代は祖父の名前をもらって中村吉右衛門を名乗り初舞台を踏むこととなります。

小さい頃は役者嫌いで歌舞伎以外の道を希望していたそうですが、天賦の才により子供芝居で大活躍!歌舞伎座の座付となり、九代目團十郎の教えを受けました。

九代目の死後は、六代目菊五郎との共演でめきめきと頭角を現し好評を博したものの、大きな役には恵まれない時代が続きました。

菊吉の時代が到来

ここまで不遇の初代でしたが興行主の引き立てにより、明治40年代の市村座で大フィーバーを起こします!

時代物の吉右衛門、世話物の菊五郎のコンビは若い観客に大好評、大入り続きとなりました。その後は松竹に移り、大きな役者との共演を通じて人気と実力をつけてゆきます。

しかし跡継ぎとなる男の子には恵まれず、結婚から十年以上の後にようやく女の子が誕生しました。この女の子が、当代吉右衛門さんのお母様なのです!

のちに初代白鸚夫人となり二人の男の子をもうけ、長男を高麗屋、次男を播磨屋の跡取りにという約束をしかと守った伝説の方であります(人'v`*)

文化勲章を受章

昭和22年に歌舞伎役者で初めて芸術院会員となり、4年後の昭和26年には文化勲章を受章されました。

存命中に宮中にて章を受けたのも、歌舞伎役者では初代吉右衛門が初めてなのだそうですΣ('0'o)

その翌年には文化功労者に選定、そしてまたその翌年には歌舞伎座の「盛綱陣屋」を天皇皇后両陛下がご覧になられました。

昭和29年に初代はこの世を去りますが、死後には従四位を受けています。

昭和初期の歌舞伎を支え、現代に続く礎を築いた偉大な方であったんだなぁということが伺えますね(人'v`*)

一代で築いた芸

歌舞伎役者というと代々受け継いできた大名跡を襲名してその芸を守ってゆくイメージですが、初代吉右衛門は一代で「吉右衛門」の名前を大きくした方です。

天才肌の初代は時代物に長けた役者だったそうですが、演じた舞台は多岐に渡っています。

父である三代目歌六の当たり役・教えを受けた九代目團十郎譲りの役、古典の時代物・世話物、そして初代が独自に切り開いた役柄…と、得意の芸は数多とあったようです。

「芸は一代限り」という考えのもと、初代が築き上げてきた珠玉の芸。。

見てみたかったなぁ…!早く生まれていればなぁ…!と思わずにはいられません(n´v`n)

 

こうして過去の役者の生きざまを調べていると、無性にワクワクしながらもなんとも切ない思いに駆られます。゚゚(´□`。)°゚。

どう調べ伝え聞いても、当代の芝居に震えても、初代その人の芝居をこの目で見ることだけは叶わないわけです。。

私たちが今舞台の上に見ているものも、その役者の命尽きるまでの芸であります。目の前の一瞬一瞬を大切にしてゆきたいですね。

「芸は一代限り」というのはそういった意味合いも含むのかなぁと、私なりにぼんやり思いました(´▽`)

 

参考文献

 

歌舞伎 家・人・芸 (淡交ムック)

歌舞伎 家・人・芸 (淡交ムック)

 

 

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