歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい熊谷陣屋 その四 あらすじ

ただいま歌舞伎座にて上演中の芸術祭十月大歌舞伎から、夜の部「熊谷陣屋(くまがいじんや)」のお話を続けております。

ここまでで「熊谷陣屋」本編までのお話はしてありますので、今日は本当に簡単なあらすじをお話しますね。

ざっくりとしたあらすじ

熊谷次郎直実の陣屋には、熊谷の妻・相模が息子の小次郎直家を心配してはるばるやってきています。

とそこへ現れたのは、敦盛の母・藤の方。

熊谷と相模夫婦はかつて、この藤の方に助けられた大変な恩があるのです。

そんな藤の局から

「私の息子・敦盛を討った熊谷を討ちにきました。助太刀をしなさい」

などと迫られた相模は困ってしまい、ひとまず奥へ案内することにしました。

 

そうとは知らず陣屋に帰ってきた熊谷

相模に小次郎の様子や、敦盛を討った自分の手柄を話して聞かせます。

そこへバッと登場し、いきなり斬りつける藤の方

「これは戦場の習いなので、どうか諦めてください。。。」

と熊谷は諭しながら、敦盛を討った時の様子を物語ります。

それを聞いて悲しみに暮れる藤の方でした…。

 

それはそうと敦盛の首を義経のところへ持っていいかねばならない、と熊谷は出かけてゆこうとしますが、タイミングよく義経が現れました。

 

さっそく敦盛の首実検をすることに…

熊谷が首桶を開くと、なんとそこにあったのは小次郎の首でした!!

衝撃の展開です!

相模・藤の方は大パニックに陥りますが、

桜の制札を使って熊谷は二人をグッと取り押さえます。

義経は「よくぞ討った」と熊谷を褒めました。

 

なぜ熊谷は、敦盛の代わりに自分の子を殺さなければならなかったのでしょう。。

それは平敦盛が後白河法皇の血を引く者だからなのです。

天皇ともなる身の上の方なので、なんとしても命を救わなければならない存在だったのでした。

 

義経は熊谷に「一枝を剪らば一指を切るべし」という文言を託していました。
 

これはなんと

一子(敦盛)を切るときは、

一子(小次郎直家)を切って身代わりにしなさい 

という意味だったのです。

それを察した熊谷が、制札の通りに我が子を切って身代わりにしたということです。。

熊谷は義経からこれを明言されたわけではないので不安な思いがありましたが、これでよかったのだとほっと安堵する反面、我が子を手にかけてしまった苦しみは消えません。

 

そもそも、義経のお兄さん・頼朝は「敦盛を殺せ!」と命令していました。

この場の出来事を聞きつけた頼朝の部下・梶原平次景高という男が、これは!頼朝様に知らせなくては!と勇んで走ってゆきます。

 

すると突如、ウーッ!と倒れこむ梶原!

なんと突然現れた石屋弥陀六という男が、手裏剣を投げて殺したのでした。

このいきなり登場した弥陀六、いったい何者なのか戸惑いますが、義経はすぐに正体を見抜いてしまいます。

かつて幼い頼朝・義経兄弟を助けてくれた平家の侍・弥平兵衛宗清だったのです!

頼朝・義経兄弟を助けたために、結果的に平家が滅亡してしまったことを嘆いている宗清でした。

 

義経はそんな宗清に鎧櫃を与えますが、実はその鎧櫃の中に敦盛が隠れているのでした!

敦盛を助け、平家へ返したことがかつての恩人への恩返しとなりました。

 

一方熊谷はというと、なんとお坊さんの姿となって座に現れました。。

さむらいの道を通すために、大切な我が子を手にかけたこと…

熊谷はそんな抱えきれぬ虚しさを胸に戦乱の世の中を振り切り、涙をこぼしながら陣屋を後にするのでした。

 

ここまでで熊谷陣屋、幕でございます。

所々端折ってしまったにも関わらずかなり長いお話になってしまいましたが、なんらかのお役に立てればうれしく思います!

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