歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。 歌舞伎歴10年の20代。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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三代目襲名記念! 【市川右團次】という名跡 その二

ただいま新橋演舞場で上演中の

市川右近改め 三代目 市川右團次 襲名披露

二代目 市川右近 初舞台

壽新春大歌舞伎!

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このたび81年ぶりに復活した右團次という名跡について、少しばかりお話してみたいと思います。

その一から続いておりますのでどうぞご一読ください(人'v`*)

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関西歌舞伎の名跡

初代右團次は、1843~1916年という幕末から明治大正の激動の時代を生きた方です。

名優・市川小團次の子として生まれましたが、

既に養子の左團次が活躍していたことから小さなうちに養子に出されており、

歌舞伎の世界からは遠ざかってしまっていたようです。

それでもやはり役者になりたいという思いから修行を重ね、19歳で右團次と改名しました。

 

しかしこの時に後ろ盾としてついたのは父の小團次ではなく

関西歌舞伎の重鎮である二代目尾上多見蔵でした。

多見蔵小團次ケレンの芸を仕込んだ過去があり、

お父さん譲りの身軽な身体を持っていた初代右團次もその才能を見こまれました。

 

そのおかげで初代右團次は、

宙乗りやら早替わりやらのエンターテインメント性の高い芸を身につけ

一躍人気者となることができたようですヽ(。>▽<。)ノ

このような芸のことを「ケレン」と呼びます。

 

江戸末期の関西歌舞伎で大きな存在となった初代右團次でしたが、

文明開化の波がやってくるとその立場も危うくなってゆきました。

庶民向けのショービジネスであった歌舞伎を

より高尚で心理描写を重んじたものにしていこう!という運動がおこった時代であります。

 

役者が空を飛びます!

\わーすごい!/

衣裳がパッと替わります!

\わーびっくり!/

というショー的なおもしろみは、時代の流れの中で徐々に取り残されてゆきました。

 

関西歌舞伎のスターたちも入れ替わってゆき、

がんじろはんと呼ばれ愛された初代鴈治郎の時代に。

明治も終わりになると初代右團次は養子の右之助に名前を譲り、大正四年に引退しています。

なんとその引退公演では70代にして宙乗りを披露したといいますから、

驚きの役者魂でありますΣ('0'o)

 

当たり役は

水中で早替わりを見せる「鯉つかみ」

宙乗りを見せる「石川五右衛門」

小團次が得意とした「法界坊」等だったそうです。

 

二代目右團次は初代の養子で、

1881~1936年という明治から昭和初頭の時代を生きた方です。

本名である伊藤右之助の名で初舞台を踏み、

20代はじめで市川右之助と名を改めて関西の人気花形役者となりました。

そののち、師匠から名を譲り受け右團次と改めます。

 

初代の当たり役のほかにも、

「四谷怪談」「児雷也」などのおもしろいしかけのあるお芝居を得意としました。

初代のケレンの芸風をしっかりと受け継いでいたようです。

 

しかし先ほどもお話したように、時代はこのようなケレンの芝居を求めてはいませんでした(。´_`。)

がんじろはんが大スターとして君臨している関西歌舞伎では

本拠地の道頓堀でなくその周りの劇場に出演することが多くなります。

 

やがて時代は昭和に移りがんじろはんがこの世を去り、

二代目右團次もようやく道頓堀の芝居へ座頭として帰ってくることができました。

しかし悲しいことに、がんじろはんの死の翌年、

二代目右團次56歳の若さで突然この世を去ることになってしまったのです。゚゚(´□`。)°゚。

 

今でこそ歌舞伎を初めてご覧になった方や外国の方なども含めて

たくさんの人を喜ばせ楽しませているケレンの芸ですが、

このような不遇の時代もあったのですね。。

 

すっかり長くなってしまいましたので、続きはまた次回にお話したいと思います(人'v`*)

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