ただいま歌舞伎座で上演中の團菊祭五月大歌舞伎は、
七世 尾上梅幸 二十三回忌
十七世 市村羽左衛門 十七回忌と銘打たれております。
名優として知られる十七代目 市村羽左衛門のご子息である八代目坂東彦三郎さんは初代坂東楽善の名を
そしてそのご子息である亀三郎さん・亀寿さんはそれぞれ九代目 坂東彦三郎・六代目 坂東亀蔵を襲名なさいました(人'v`*)
彦三郎の名跡
現在まで九代続く坂東彦三郎の名跡。
九人の彦三郎さんがその名前を大切に守ってきたのですね。
襲名に際してさかのぼってみると、名跡への思いがひとしおとなり感動も深まるように思いますので、
全員とはゆきませんが少しだけお話してみます!
大坂からやってきたスター・初代
初代の彦三郎は大坂の生まれで、上方の芝居で活躍していましたが50代手前になり江戸へと下ってきたそうです。
江戸では二代目 團十郎・初代 沢村宗十郎・初代 大谷広次といった名だたる役者たちと、四天王としてスターの座に君臨しました!
容姿と口跡がよい方だったそうで、当代の彦三郎さんの美声のイメージが重なりますね(n´v`n)
やがて初代の子が二代目彦三郎となり人気を博しましたが、この方は27歳という若さでこの世を去られています。
初代も容姿に優れていたそうですから、二代目も美貌の人だったのではないでしょうか。さぞや惜しまれたことと思います。
三代目が勤めた大役
次に三代目として彦三郎を襲名したのは、八代目羽左衛門の子供です。
この方はまたとても実力のある方だったようですよ!
メトロポリタン美術館によれば、この絵は三代目彦三郎の「菅原伝授手習鑑」菅丞相だそうです。
Home | The Metropolitan Museum of Art
三代目彦三郎は、この菅丞相や「仮名手本忠臣蔵」の大星由良之助など
現在でも三大狂言として知られているような大きな演目での大役を勤め和実の名人とされていたのだそう!
人気を博していましたが60代になると芝居を引退。
剃髪して半草庵楽善と名乗り、余生を過ごしたとのことです。
なるほど、八代目彦三郎さんが今月襲名した初代楽善の名はここから来ているのですね!
ネットニュースなどでも取り上げられていた菊五郎さんからの「薬膳?中華料理のお品書きかと思ったよ」という楽しいお話が思い出されます(´▽`)