ただいま歌舞伎座で上演中の八月納涼歌舞伎!
第一部「玉兎」について少しばかりお話いたします。
初めてご覧になった方にとって、何らかのお役に立てればうれしく思います(人'v`*)
月のうさぎのメルヘンとお団子
今月勘太郎さんがかわいらしくお勤めになっている舞踊「玉兎」は、
清元節という音楽の舞踊であります。
文政3年(1820年)9月江戸の中村座で初演された演目で、
本名題は「玉兎月影勝(たまうさぎつきのかげかつ)」です。
初演を勤めた三代目坂東三津五郎は二枚目の役を得意とする人気役者であり
上方で活躍していた三代目中村歌右衛門と人気を競った名優であります(人'v`*)
この方は舞踊の名手であり、現在も続く日本舞踊坂東流の流祖となった人物です。
「玉兎」の部分のみ上演されていますが、
本来は月雪花の七変化舞踊
「月雪花名残文台(つきゆきはななごりのぶんだい)」のうちの一つとして上演される物であります。
遊女のはかない身の上をかたる「浅妻船」という舞踊での美しい白拍子姿から
この可愛らしいうさぎさんへと変化する趣向だそうですから、
全体を通してみると一層おもしろいものでしょうね(´▽`)
舞踊の内容としては月から出てきたうさぎが踊るというメルヘンチックなものなのですが、
そこには当時巷で流行っていた「景勝団子売」の風俗も同時に取り入れられています。
景勝団子(かげかつだんご)というのは、
享保年間から明治ごろまで江戸市中で売り歩かれていたお団子のことです!
この名前は、上杉謙信の養子・長尾景勝から取られたという説があります。
これは”景勝の鉾のようにつぶれませんよ”
という意味合いであったとか、ないとか言われております。
どれほど固いお団子だったのでしょうか…想像もできません…(*´艸`)
「餅じゃござらぬ月の影勝」という詞章に、
”景勝団子はただのお餅ではなく、月の光より価値あるすごいお団子なんですよ”
という売り文句が盛り込まれています。
景勝団子なるものが一体どれほどのものであったのか大変気になりますけれども、
今や江戸の市中に景勝団子売はいませんので知る由もありません(。´_`。)
勘太郎さんの踊りを見つつ、かつての風俗に思いを馳せたいと思います(n´v`n)