ただいま歌舞伎座では秀山祭九月大歌舞伎を上演中です。
初代吉右衛門の芸を顕彰することを目的とした「秀山祭」
今年は、当代吉右衛門さんが昼の部で極付幡随長兵衛をお勤めになっています!
そんな極付幡随長兵衛について、少しばかりお話いたします。
なんらかのお役に立てればうれしく思います。
幡随院長兵衛は実在の人物
この演目の主人公であります幡隋長兵衛は、まさに男の中の男!
背中に悲しみを背負った潔い生き様はたまらないものがあります。
実はこの幡随長兵衛、実在の人物「幡随院藤兵衛」をモデルにしています。
江戸初期の侠客で、様々な伝承から江戸の人で知らない人はいないほど有名なヒーロー的存在となりました。
幡随院長兵衛は肥前唐津藩の浪人の子として生まれ、本名を塚本伊太郎と称したとされています。
江戸の花川戸に住んで、大名や旗本に奉公人をあっせんする仕事をしていました。
「幡随院」という名前の成り立ちには諸説あります。
一つは、喧嘩で人を殺してしまったところを上野池端幡随院の住職・白道に助けてもらって町人になったという説。
もう一つは、その住職の親族だったという説です。気になるところですが、定かではありません。
強いリーダーシップと腕っぷしを持ち、度胸もあった幡随院長兵衛は、男伊達のリーダーとしても成功します!
男伊達というのは侠客ともいわれます。
いわゆる「かぶき者」といわれる派手な出で立ちで常軌を逸した振る舞いをするような人々のことですが、
現代の私達がイメージするような
派手な出で立ちで街を闊歩する不良、チンピラというものとはかなり異なっていたようです。
旗本奴から威張り散らされていた弱い立場の町人たちを守ってあげる
まさに「弱きを助けて強きをくじく」とてもカッコいい存在であったようですよ。
幡随院長兵衛の生きていた年代は1622年あたりから1657年とされています。
その時期は戦国時代がおわって江戸幕府ができてしばらくたち、世の中が荒れて混乱を極めていたようです。
そんな時代、常に弱い立場であった町人たちのなかから生まれた『侠客』の走りが幡随院長兵衛でありました。
庶民憧れのヒーローであった幡随院長兵衛はさまざまな歌舞伎・講談・小説・映画などに脚色されています。
歌舞伎の演目の中でも特に有名なのは、
四世鶴屋南北が書いた「浮世柄比翼稲妻(うきよがらひよくのいなずま)」の中の「鈴ヶ森」の場面です!
「御存 鈴ヶ森」として現在でもしょっちゅう上演されていますね。
「お若えの、お待ちなせえやし」
という冒頭の台詞がなんともカッコいい演目です。
機会があれば、ぜひご覧くださいね!