歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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松本幸四郎の名跡 その三 五代目の「鼻高」幸四郎

歌舞伎座では昨日まで二か月にわたって、

高麗屋三代襲名披露がにぎにぎしく執り行われていました!

これから襲名披露の興行は全国の劇場をまわります。

このおめでたい襲名披露にちなみまして、

江戸歌舞伎の大名跡「松本幸四郎」について少しばかりですがお話してみたいと思います。

なんらかのお役に立てれば嬉しく思います!

 

子どもも泣きだすお顔の迫力

現在襲名披露をなさっている当代の幸四郎さんは十代目。

ここからぐぐっとさかのぼること200年あまり…

五代目幸四郎の時代になります。

 

 

色子から大名跡を継ぐほどの大きな役者に出世し

辛酸をなめながら努力に努力を重ねる人生を送ってきた四代目幸四郎は、

かわいい実の子を何不自由なく育ててやり、五代目幸四郎を襲名させます。

その結果五代目は、おぼっちゃまらしく鷹揚で温厚な人柄に育ちました。

幕末に亡くなるまで沢山の後進を育て、大変人望の篤い方であったそうです。

 

上方のやわらかな風情の演出「和事」を得意とした美男子な四代目の実の息子、

しかもおっとりとして優しい…というのならば、

さぞかし線の細い方であったのだろうと想像してしまいますね。

 

ところがこの方…

 

 

人並み外れて高い鼻、そして落ちくぼんで眼光鋭い目、

見得をしただけで子供がギャ~ッと泣いてしまうほどの強烈な容貌だったのです!

その外見のインパクトは「鼻高幸四郎(はなたかこうしろう)」と呼ばれるほど。

 

この見てくれでは、とてもお父さんの持ち味を継げそうもない…と悩んだ五代目は、

四代目とともに最下層から這い上がり、敵役を得意としていた初代中村仲蔵

「敵役に転向しようと思うんです…」と相談します。

しかし仲蔵は、

「今はまだ早いから、私が死ぬまでは敵役をやろうとは思わない方がいいよ」

とアドバイス。

五代目はお父さんの親友の仲蔵を心から信頼していたため、

言う通りにミスマッチな和事や実事にも取り組んで一生懸命に修行しました。

 

そして仲蔵の没後…

五代目は修行の甲斐あって、ワル中のワルの役である「実悪」という役どころで大ブレイクします!

その芸風は初代仲蔵や「木場の親玉」と呼ばれた四代目團十郎のいいとこ取りで、

古今無類、三都随一、と大評判を呼ぶ一大スターとして江戸の歌舞伎界に君臨!

 

大作者の四世鶴屋南北とタッグを組み、

おどろおどろしい怪談や盗賊たちを主人公とする白浪物など

最下層の人々の退廃的な世界を描いた「生世話物(きぜわもの)」というジャンルを創始したのでした。

 

時しも頃は文化文政、

町人文化が栄えてみんなが毎日おもしろおかしく暮らしつつも

どこか退廃的な虚無感を抱えていたところに、

その心をぐっと掴むような新たな世界観の歌舞伎をもたらしたわけであります。

 

五代目幸四郎が持って生まれたルックス、懸命に磨いた芸、時代の波…

すべてが良い方向に向かったおかげで

私達は今も楽しく「生世話物」の歌舞伎を見ることができるんですね!

 

 

 

四代目より続いた幸四郎家の直接の血筋は、

次の六代目幸四郎が年若くして亡くなられたために

残念ながら途絶えてしまいました。

しかし五代目の功績で、現代にも残っていることはまだまだあります。

 

実は「仁木弾正」や東京型の「いがみの権太」の拵えで

今でも左の額にほくろを描くことがあるのは、

五代目幸四郎のお顔にこのようなほくろがあったため

敬意を表してのことなのだだそうです。

これはお勤めになる方の型によって異なるそうですので、

注目してみるとおもしろいかと思います。

 

現代においても尊敬され、舞台にその功績が色濃く残る五代目幸四郎

浮世絵でも特徴的な顔つきを描いた役者絵がたくさん残されていますので、

美術館などではぜひお鼻に注意してご覧になってみてくださいね!

 

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参考:歌舞伎 家・人・芸/日本大百科全書

歌舞伎 家・人・芸 (淡交ムック)

歌舞伎 家・人・芸 (淡交ムック)

 
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