歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい国性爺合戦 その二 和藤内のモデル「鄭成功」の大活躍

ただいま歌舞伎座で上演中の三月大歌舞伎

昼の部で上演されている「国性爺合戦」に関するいろいろを

この機会に少しばかりお話したいと思います。

なんらかのお役に立てればうれしいです(人'v`*)

日本・中国・台湾をまたにかけるヒーロー

明国人の父と日本人の母の間に生まれた

荒くれ者のヒーロー・和藤内(わとうない)には、実在のモデルがいました!

 

それは物語の題名にもなっている「国姓爺(こくせんや)」と呼ばれた人物。

中国・台湾などでも英雄的な歴史上の人物として語られることが多いという

鄭成功(ていせいこう)という方であります。

 

鄭成功は1624年に、今の長崎県平戸市のあたりで

明人の父・鄭芝竜(ていしりゅう)と日本人の母・マツさんの間に生まれました。

鄭芝竜さんは貿易の商いにて巨万の富を築いた方だそうです。

今でいうグローバルな感覚を持っていた方なのかもしれません。

 

そののち鄭成功はわずか7歳にして、お父さんのいる中国大陸へ単身渡航しました。

そのころ中国大陸では満州族のの王朝が権力を強くしていたそうなのです。

 

立派な将軍へと成長した鄭成功明国の復興を目指して奮闘、

台湾を占領していたオランダ軍をも追い払って開放するという

大活躍を見せたのでした。

・明の主君へのまっすぐな忠義のこころ

・お母さんが日本人である

という二つの要素が日本人の心をぐっとつかんで

大坂では実に8割もの人が見たという「国性爺合戦」の大ヒットへと繋がりました。

 

日本から中国、中国から台湾とまさに世界をまたにかけ活躍しながらも

鄭成功はわずか39歳にしてこの世を去っています。

短い命であってもこうして今も母国だけでない3つの国にて語り継がれ

お芝居としても人の心を動かしワクワクドキドキさせていることを思うと

すごい方だなぁドラマチックだなぁと感激してしまいます。

 

国姓爺(こくせんや)というのは、

明国の皇帝が代々名乗っている苗字「」を名乗ってもよいぞと

皇帝から直々に認められた偉い方であるという意味であります。

 

お芝居のタイトル

国性爺合戦(こくせんやがっせん)」はの字をあえてと書きます。

この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

というようなメッセージを

近松はこの一文字に込めたのかもしれませんね(´▽`)

しかしながらこれについては理由が明らかになっていないそうなので

謎は深まるばかりです。 

 

参考:日本大百科全書(ニッポニカ)/毎日新聞/福建省007厦門 〜ヤシの木揺れる「海上の美都」

福建省007厦門 ?ヤシの木揺れる「海上の美都」 まちごとチャイナ

福建省007厦門 ?ヤシの木揺れる「海上の美都」 まちごとチャイナ

 

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