ただいま歌舞伎座で上演中の…
中村橋之助改め八代目 中村芝翫 襲名披露
中村国生改め 四代目中村橋之助
中村宗生改め 三代目中村福之助 襲名披露
中村宜生改め 四代目中村歌之助
芸術祭十月大歌舞伎!
襲名披露にあたり、「芝翫」という名跡について少しばかりお話しております…
その二ではルーツである初代歌右衛門についてお話しましたのでよろしければご一読ください(人'v`*)
初代歌右衛門が立役で、実悪の魅力を発揮して人気を集めていたということがわかりました。
では、歌右衛門家で初めて「芝翫」を名乗った方はどんな方だったのでしょうか?
初代の子・三代目歌右衛門
初代芝翫は初代歌右衛門の子で、安永7年(1778)~天保9年(1838)という時代を生きていた方です。
この方は子供のころから子供芝居で評判を集め、寛政元年には加賀屋福之助を名乗って初舞台を踏みました。
芝翫さんのご次男宗生さんが襲名なさった三代目福之助のルーツが見つかりましたね(´▽`)
そのすぐあと寛政3年には三代目歌右衛門を襲名しますが、この方の俳名が「芝翫」なのだそうです。
書籍にあります歌右衛門家の家系図には、芝翫の名で舞台に立っていた時期があるということを表す表記があります!
初代芝翫がようやく登場しましたねヽ(。>▽<。)ノ
この方は「梅玉」の俳名も使っていたようで、梅玉歌右衛門と通称されていたそうです。
梅玉歌右衛門は実悪・敵役をはじめ幅広い役柄で評価され、「義経千本桜」では知盛・権太・忠信の三役すべてを当たり役にしたといいます。
成駒屋という屋号の登場
後に梅玉歌右衛門の門弟が四代目歌右衛門を継ぐこととなりましたが、この方も大変優れた役者で江戸を代表する名優となりました。
この方から、屋号が成駒屋に改められます!
この方の俳名は「翫雀」で、翫雀歌右衛門と通称されていました。
歌右衛門、芝翫…そして梅玉、翫雀……
ここまででも耳慣れたお名前がたくさん出てきましたよね!
歌右衛門家には今に通ずる名跡がたくさんあるのですね(n´v`n)
梅玉歌右衛門の数ある当たり役の中には、今月上演の「一谷嫩軍記」もあり「梅玉型」を残しているそうですが、今月の芝翫さんはこれとはちがった型で演じられるそうなのです。
果たしてそれが何なのか…というのはまた明日お話しますね(人'v`*)