歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい助六由縁江戸桜 その六 髭の意休

ただいま歌舞伎座で上演中の三月大歌舞伎

これまで夜の部「助六由縁江戸桜」についてお話してきました。

まもなく今月も終わってしまいますが、とてもなにかのお役に立てればうれしく思います(人'v`*)

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助六、揚巻とくればやはり意休さんのお話もしなければ納まりませんよね!

髭の意休

意休さんは白髪頭に長い髭を蓄え、中国趣味の装飾品などを取りそろえたいかにもお金持ちという立派な雰囲気のご老人。

髭大尽(ひげだいじん)と呼ばれる、男伊達の親分です。

お金に物を言わせて揚巻を口説いているようです。

しかしみんなの前でひどい悪態をつかれたりとかなり嫌われている雰囲気で、

助六からも悪口を言われ、頭の上に下駄を載せられたりとさんざんであります(´▽`)

そんな意休さんは仮の姿…

実は平家の残党・伊賀平内左衛門で、助六とお兄さんに敵討ちを暗に勧めるのでした。

意休さんの衣装

意休さんは亀甲模様や雲龍が金の糸で刺繍された、豪華絢爛で装飾たっぷりの衣装を着ています!

黒一色でスッキリとかっこいい助六さんに比べてかなり大げさな印象で、

江戸っ子にとっては野暮の極みと言うべき出で立ちでありました。 

粋を好む江戸っ子たちには「うーわ何あれダッサ!」と思われていたのかもしれませんね。

助六さんと意休さんを並べてみて、まさに野暮という象徴的なデザインです。

助六さんのかっこよさがますます引き立ってしまいます(*´艸`)

髭の意休のモデル

江戸の初めに実在したという男伊達の頭・深見十左衛門自休(じきゅう)がモデルと言われています。

吉原の三浦屋で暴れたり、喧嘩で前歯を三本折ってギラギラの金歯を入れていたりと、

インパクトの大きい人物だったようですね(・_・;)

 

しかし意休さんのモデルには他のエピソードもあるようです…

江戸時代、歌舞伎役者の身分は士農工商の外に置かれていました。

お芝居に関わる人たちや、皮を加工したり履物を作る職人さんたち、

えたひにんと呼ばれる人たちなどが「制外者(にんがいもの)」と呼ばれ、

一般の町人とは住まいの区画を分けられて暮らしていたのです。

今考えるとひどいお話ですが、それも歴史の上では事実であります(。´_`。)

 

そんな賤民の立場の人々を統括する立場であった禅左衛門という人がいました。

歌舞伎を直接取り締まっていたわけではないようですが、好ましい人物ではなかったようです。

 

あるとき京からやってきた人形芝居の一座が、禅左衛門に無断でお芝居をかけて怒らせてしまい、禅左衛門サイドがこれを妨害。

人形芝居一座は町奉行所に訴え出ていろいろと取り調べてもらい

「禅左衛門さん、これから芸能やお芝居のことは口出ししちゃいけませんよ」と取り決めてもらいました。

かなりざっくりしすぎなのですが、これを「勝扇子事件(かちおうぎ)」と呼んでいます。

 

二代目團十郎はこの禅左衛門をモデルに髭の意休という役を作り、

禅左衛門への勝利宣言という意味合いも持たせて「助六」のお芝居を作ったと言われているのです。

そのため当時の人々には「あれは禅左衛門のことだなぁ」とありありとわかったのだそうですよ(´▽`)

 

すえひろはこの髭の意休というキャラクターが好きで、

憎らしいながらに品格ある左團次さんの意休さんは絶品だと思っております(n´v`n)

そんな左團次さんがあさっての俳優祭ではどのようなサプライズを見せてくださるのか、そちらも非常に楽しみであります…!!

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