ただいま歌舞伎座で上演中の八月納涼歌舞伎!
第二部「修禅寺物語」について少しばかりお話いたします。
何らかのお役に立てればうれしく思います(人'v`*)
その一
その二
歌舞伎の世界にも芸術至上主義の波が
「修禅寺物語」では、
面作りの名手である夜叉王が死にゆく娘の断末魔の表情を
後の創作の手本にと写し取るという、
非情ともいえるようすが強烈な印象を残します…(・_・;)
実はこの部分も、とある伝説をふまえて創作されたものです。
ひとつは、室町時代の金剛右京という能役者の伝説です。
今にも死んでしまうという愛する妻の姿を前にしてその顔貌をデッサンしておき、
名作として後世に伝わる「孫次郎」の面の参考にした…
というものであります。
もう一つは、江戸時代の初めに活躍した喜多七太夫長能の伝説であります。
自分の子を誤って死なせてしまった乳母が半狂乱になっている様子を見て、
能「藤戸」での取り乱した母親の演技を会得した…
というものです。
どちらも、芸術や表現の高みのためにはモラルをも逸脱する…というエピソードですよね。
なぜ岡本綺堂はこのような伝説を取り入れたかといいますと
明治時代当時の文芸思想の一つに「芸術至上主義」というものがあったからであります。
これは、
芸術というものは社会性や倫理性に縛られることなく、
ただ芸術のためだけに存在する
とする思想です。
芸術至上主義を唱えたイギリスの作家オスカー・ワイルドの
「自然は芸術を模倣する」という有名な言葉も
そのまま修禅寺物語の世界に取り入れられています。
歌舞伎は明治時代の思想の変化にビシバシとさらされていたのだな…
ということがよくわかる作品ですね。
余談ですが、すえひろの一番好きなジブリ映画は「風立ちぬ」であります。
この映画からも「修禅寺物語」のように、美や創作は人間同士の情愛にも勝る崇高なものに違いないという強い思いを感じるのです。
善悪などの基準ではとてもはかれない、恐ろしいような思いがそこにはあります。
「修禅寺物語」のことを考えていたら、もう一度見たくなってきました(n´v`n)