ただいま歌舞伎座では秀山祭九月大歌舞伎を上演中です。
初代吉右衛門の芸を顕彰することを目的とした「秀山祭」
今年は、当代吉右衛門さんが昼の部で極付幡随長兵衛をお勤めになっています!
そんな極付幡随長兵衛について、少しばかりお話いたします。
なんらかのお役に立てればうれしく思います。
無頼漢たちの激しいストリートファイト
その二では、幡随院長兵衛が実在した侠客であったというお話をしていましたね。
侠客というのは「町奴」とも呼ばれていました。
当時、町奴に対立する存在として「旗本奴」という人々がいました。
戦国時代は血気盛んな武士たちがえいえいと戦っていたわけですが、
江戸幕府が開府してしばらく経つと世の中は落ち着きを取り戻し始めました。
そんな世の中で腕っぷしを披露する場がなくなってしまったさむらいたちが、
行き場のないエネルギーをくすぶらせて徒党を組み始めたのです。
そんな人々のことを旗本奴と呼びます。
旗本奴たちは、派手な格好をしておかしな行いをしたり、町人たちをいじめたり、辻斬りなどというひどいこともしていました。
血の気の多い若者に自分の力を認めてもらえないヒマな時間を与えると、
間違った道に行ってしまうものなのかもしれないなぁと勉強になります。
旗本奴と競うようにして、町人の中から「町奴」が生まれました。
旗本奴VS町奴の抗争は、時代が下るごとに激化していったようです。
水野十郎左衛門も実在していた!
幡随長兵衛は実在の町奴でしたが、敵対する水野十郎左衛門もまた実在の旗本奴です。
芝居見物中に起こった喧嘩で幡随院長兵衛が十郎左衛門の手下である旗本奴たちをこてんぱんにしたのを恨み、
復讐するために幡随院長兵衛を自宅に招き、湯殿にて槍を使って殺害したといわれています。
しかし、幡随院長兵衛は浪人であったことからお咎めなし。
その後も市井で乱暴を働いたり、素行はまったく良くなりませんでした…
そんな十郎左衛門はついに幕府から呼び出されることになりましたが、
髪も結わずおかしな恰好で出頭。
無礼者め!と切腹させられてしまったのだそうです。
この水野十郎左衛門の人柄や事件の顛末には諸説あるので、これが真実と確証はできません。
しかし、旗本奴から無残に殺されてしまったことで幡随院長兵衛は
「伝説のヒーロー」というイメージを強くしたわけです。
歌舞伎で描かれる伝説のヒーローというのはもうキャラクターのようになってしまい、
事実がよくわからなくなるほど猛烈な脚色が加えられるのが常ですが、
河竹黙阿弥の「極付幡随長兵衛」はこの事件をかなり忠実に描いているんだなぁということがよくわかりますね!
十郎左衛門に謀られて湯殿で殺される長兵衛を描いていることから、
この演目は「湯殿の長兵衛」という別名でも知られています。
それでは、長くなりましたので次回に続きます。