ただいま歌舞伎座で上演中の秀山祭九月大歌舞伎!
昼の部「彦山権現誓助剱 毛谷村」について、少しばかりお話いたします。
なんらかのお役に立てればうれしく思います。
九州・英彦山に残る毛谷村六助のルーツ
「毛谷村」の舞台は、現在の福岡県から大分県にまたがる英彦山(ひこさん)のふもと・毛谷村。
英彦山は実在のお山で、山そのものを神体としている山岳信仰の霊山です。
山頂にある英彦山神宮は、昔から山伏の修験道場として知られています。
この英彦山神宮のことをかつて「彦山権現(ひこさんごんげん)」と呼んでいたのだそうで、
「彦山権現誓助剱」というタイトルも大納得ですね。
剣術の達人でありながら心優しい好青年である主人公・毛谷村六助に関しては謎が多くてなかなかおもしろいので、少しばかりお話したいと思います。
①実在の人物説
まず、毛谷村六助という名前は、
この英彦山のふもとにある毛谷村に住んでいた木こりから取られたと言われています。
彼は後に加藤清正の家臣となり豊田孫兵衛と名前を改めて、朝鮮へと出陣。
そこで壮絶な死を遂げたらしい…というお話です。
これは「彦山権現誓助剱」の元ネタである「豊臣鎮西軍記」に描かれていることだそうです。
➁巨人伝説説
次におもしろいのが、
毛谷村六助が霊山・英彦山に伝わる巨人伝説から生まれたキャラクターであるという説。
確かにこの英彦山周辺のエリアにはさまざまな伝説があるようで、
天狗、巨人、鬼などなどの異形のものがいたとされているようです。
毛谷村六助の怪力ぶりを思えば、これもまた確かになぁと思えるモデルであります。
➂宮本武蔵説
もう一つ気になるのが、
毛谷村六助のモデルはあの宮本武蔵であるというもの。
宮本武蔵伝説の「敵討巌流島」の影響を受け、
六助を宮本武蔵、師匠の一味斎を無二斎、敵の内匠は佐々木小次郎に当てているという説であります。
これを考えると「毛谷村」がなんとなく少年漫画的だなぁと感じるのももっともだなぁと思います。
そんな毛谷村六助、なんと大分県の中津市にお墓が存在しています。
これも本当なのかどうかよくわからないものです…
謎は深まるばかり、わくわくしてきます。