ただいま国立劇場で上演中の通し狂言 霊験亀山鉾!
その二では物語の主題になっている事件「亀山の敵討ち」についてお話しましたが、
霊験亀山鉾には実は、もう一つの事件が盛り込まれています!
二幕目「駿州弥勒町丹波屋の場」に登場する芸者のおつまと、
極悪人・藤田水右衛門と生き写しの古手屋八郎兵衛が関係しますので
少しばかりお話したいと思います。
大坂中を騒がせたお妻八郎兵衛の事件
この二人の元ネタとなっているのは、
1702(元禄15)年の7月、大坂は四つ橋西浜で実際に起こった事件であります。
堀江の丹波屋という茶屋の娘・お妻を、嫉妬に狂った古手屋八郎兵衛が殺してしまったというものです。
このセンセーショナルな事件はすぐに歌舞伎化され、
大坂3座にて上演。世に広く知れ渡ることととなりました。
やがて歌舞伎・人形浄瑠璃ともに
八郎兵衛がお妻に嘘の愛想尽かしをされ
カッとなって殺してしまう
という物語のパターンが生まれ
「お妻八郎兵衛物」という一つのジャンルを生み出すまでになります。
中でも代表的なものは歌舞伎の世話物
「桜鍔恨鮫鞘(さくらつばうらみのさめざや)」です。
霊験亀山鉾でも、おつまが八郎兵衛を殺す仁王三郎の脇差は鮫鞘ですから、
当時の人々は
あぁなるほどあの鮫鞘ね!
さすがは南北、うまいこと使ったね
と南北の趣向を楽しんでいたのだろうと思います。
現代の私達も実際の事件や大騒動がタイムリーにパロディ化されて
ドラマやお笑いのネタに盛り込まれていると、
とてもおもしろく感じるということがありますよね。
江戸時代の人々もその点は同じであったようですが、
お妻八郎兵衛の事件から霊験亀山鉾の上演までは
実に120年もの年月が過ぎているというのが驚きです。
浄瑠璃や歌舞伎によって、
人々がある事件を「共通認識」として持つ期間が
尋常ならざる長さに引き伸ばされていたんでしょうか。
娯楽のパワーには驚かされるばかりです。