ただいま歌舞伎座で上演中の芸術祭十月大歌舞伎!
夜の部「漢人韓文手管始」はあまり上演のない演目ということで
記念に色々と調べてみましたので、少しばかりお話したいと思います(人'v`*)
師匠の野望を果たした並木五瓶
通称「唐人殺し」「唐人話」として知られるこの演目は
実際の事件がもとになっているというのはその一でお話した通りです。
最初に作られたデンジャラスなタイトルの「世話料理鱸庖丁」は、
江戸中期の大坂・京都の演劇界において偉大な功績を数々残した名作者
並木正三によるものでありました。
並木正三はわずか20歳で並木宗輔の門弟として浄瑠璃を手掛け、
あの名作「一谷嫩軍記」にも合作として名を連ねるほどの人物であります。
入門ほどなくして師匠の並木宗輔が他界してしまうという不運に見舞われても
歌舞伎界でめきめきと実力を発揮!
なんと20年に約90もの演目を書いたと言われていますΣ('0'o)
上方には上方の、スーパー作者がいたんですね(´▽`)
そんな並木正三が発表した「世話料理鱸庖丁」は
事実に近い表現が多いこともありわずか2日で上演中止となってしまいましたが、
この興味深いネタを巧みにフィクションへと落とし込んで
「漢人韓文手管始」を生み出したのが門下の並木五瓶でありました。
並木五瓶は並木正三の門下として大坂の道頓堀や天満の河岸にかけられていた
「浜芝居」と呼ばれる小芝居で修業を積み、
大芝居の作者へと成長してからは大坂の歌舞伎界でそれはそれはブイブイ言わせていました。
するとその評判を嗅ぎ付けた江戸の名優・三代目 沢村宗十郎が
「江戸へ来ちゃぁくれねぇか(イメージ)」とスカウト!
その契約金はなんと300両もの大金であったといいますΣ('0'o)
今のお金でいうとおそらく5000万円はくだらない額であろうと思います…!ものすごいギャランティです!
おそらく当時の江戸と上方には今よりもずっとずっと大きな差があって
人々の心が動くポイントも、芝居に対して求めているものも全く違ったのでしょう。
そんな世界において、どちらも大いに沸かせてしまった並木五瓶の力は恐ろしいものがありますね。
並木宗輔、並木正三、並木五瓶…と代々の名作者たちが
その発想法や技を脈々とつないで今の楽しみがあるんだなぁと思うと、
役者の芸とはまた違った偉大さを感じます…!
どんな方たちだったのでしょうか、あやかりたいものです(n´v`n)