ただいま歌舞伎座で上演されている吉例顔見世大歌舞伎!
夜の部「大石最後の一日」について少しばかりお話いたします。
初めてご覧になった方にとって、何らかのお役に立てればうれしく思います(人'v`*)
「忠臣蔵」にも大きなちがい
今月の夜の部は
最初の演目に「仮名手本忠臣蔵」
切の演目に「元禄忠臣蔵」を上演する狂言立てですね(´▽`)
夜の部をご覧になって
「どちらも忠臣蔵のはずなのに全然雰囲気が違うなぁ」と
驚かれた方もおいでではないでしょうか。
元禄時代に起こった赤穂浪士討ち入り事件をもとに描いているのは同じですが、
作られた時代が全く違うために、そういった気持ちになるのだと思います。
最初の演目「仮名手本忠臣蔵」が作られたのは、江戸時代のこと。
当初は人形浄瑠璃として上演され、評判を得てすぐに歌舞伎でも上演。
以来270年もの長きにわたって愛され、空前絶後の大ヒット狂言となりました。
当時は武家社会で起こったことを忠実に描いて上演することはご法度であったため、
時代設定や人名・地名は『太平記』の世界に置き換えられています。
浅野内匠頭は塩冶判官、大石内蔵助は大星由良之助、吉良上野介は高師直といった具合です。
塩冶家のお家断絶から大星由良之助の討ち入りという大筋の他に、
今月上演されているおかると勘平の悲劇のドラマも盛り込まれ
人間味あふれる素晴らしいフィクションが生み出されました。
対して最後の演目「元禄忠臣蔵」は、
昭和9年に初演された「新歌舞伎」と呼ばれるジャンルの作品であります。
江戸から考えるとかなり最近のように感じられますが、
それでも80年以上前のお話です(´▽`)
江戸時代に生まれた空前絶後の大ヒット演目「仮名手本忠臣蔵」は
あの手この手で様々に書き替えられて上演されてきましたが、
激動の幕末に入ると人々の思想にも変化が生まれたのか
実録物・外伝物といったより多角的な視点が重視されるようになっていきました。
そして開国し明治時代に入りますと、
赤穂浪士たちについての芝居は実名での上演してよい。むしろそうしなさい、
と勧められることとなります。
なんたる方向転換でしょうかΣ('0'o)
庶民の娯楽であった歌舞伎はこの頃から、
大げさな演技や荒唐無稽な筋なんかはもうやめて、
高尚で史実を重んじたものを目指そう!
という、新たな時代に突入していったのでした。
そこから「元禄忠臣蔵」が生まれるまでをお話すると長くなりますので、
また次回に続きをお話したいと思います。