歌舞伎の世界では襲名披露を控えた役者さん方が、
浅草の仲見世などを練り歩く「お練り」が行われます!
今日11日も浅草寺で来月の歌舞伎座で幕開けとなる
幸四郎 改め 二代目松本白鸚
染五郎 改め 十代目松本幸四郎
金太郎 改め 八代目市川染五郎
高麗屋三代襲名披露のお練りがにぎにぎしく行われたそうです。
NHKニュースは動画がありました!
こうして映像でようすを見ることができるのはとてもありがたいですね(´▽`)
近ごろは襲名ラッシュでお練りも頻繁に行われているように思いますが、
平日の昼が多いためになかなか見ることができず残念です(。´_`。)
残念がてら浅草寺と歌舞伎役者の関係について気になり、
お練りとは関係ありませんが少しばかり調べてみました。
かつてたぬきがたくさん住んでいた江戸の町
なにやら浅草寺境内には「鎮護堂(ちんごどう)」という御堂があるそうでして、
そこは落語家や歌舞伎役者などの芸能関係者からの信仰が篤いのだそうです。
かつて、江戸の市中にはたぬきがたくさん住んでいました。
今では想像もつきませんが、上野の山や浅草にも狸がたくさんいたそうです。
しかし明治になるとそれらの地域は開拓され、
すみかを追われたたぬきたちは浅草寺の伝法院あたりに住みつくようになりました。
たくさんの伝説があるようにたぬきというのはいたずらものですから
住みつかれた浅草寺も困ってしまいましたが、
ある日住職・唯我韶舜大僧正の夢のなかにたぬきが現れて
わたし達たぬきのために祠を建てて保護してくれれば、
伝法院を火事から守り、
未来永劫繁栄させてあげましょう
と告げたのだそうです。
仰天の夢ですねΣ('0'o)
そのお告げのとおり明治16年 鎮護大使者としてお祀りして
鎮護堂を建てたというのでなおさら驚きですが、
驚きはもうひとつあります。
なんとたぬきの約束通り、伝法院と鎮護堂は
関東大震災や東京大空襲でも焼けずに残ったのだそうですよ!
すえひろの親族は長らく界隈の下町エリアに住んでいるため
関東大震災・東京大空襲の甚大な被害は祖母や祖父らから伝え聞いておりますが
下町一帯に炎の竜巻が起こっていたという惨禍においても焼けなかったというのは
たぬきの約束のただならぬパワーを感じます!!
しかしなぜ落語家や歌舞伎役者がこの伝法院・鎮護院を信仰するのかといいますと
たぬきを「他を抜く」という語呂でとらえるためだそうですよ。
てっきり芝居小屋が焼けないということかと思いましたので、
そっちかーと笑ってしまいました(´▽`)