歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい土蜘 その二 まつろわぬ民

ただいま歌舞伎座で上演中の十二月大歌舞伎

第一部「土蜘」はこのすえひろも非常に好きな演目ですので

少しばかりお話したいと思います(人'v`*)

 

古来からある「土蜘蛛」の伝説

源頼光と土蜘蛛の伝説をもとに作られているのが能「土蜘

もとい歌舞伎の「土蜘」でありますが、

なんでまたクモなのかなぁとぼんやり思っておりました。

 

しかしながらここに出てくるクモというのは

そのあたりにいる単なるスパイダーがモンスター化したものというわけでなく

古来の「日本書紀」「風土記」などに登場している

土蜘蛛(つちぐも)』なるものが最初のものだそうであります。

 

これらに登場する「土蜘蛛」というものは、

大和朝廷から異属視されていたいわゆる「まつろわぬ民」のことなのだそうです。

 

日本書紀」においては

「身短くして手足長し、侏儒(ひきひと)と相にたり」

※侏儒とは小さい人・見識のない人のこと

「石窟(いわむろ)に住む人物」

 などと形容され

 

常陸国風土記」では

「普く土窟(つちむろ)を掘り置きて、常に穴に住み、人来たれば窟に入りてかくる」 

狼の性、梟の情をもつ

などと書かれていたようです。

 

平地で水田を耕して生きる農耕民族たちとは違う、

山に暮らすワイルドな人々だったのではないかな、

それがとても恐ろしく、朝廷の人々からは野蛮にも見えたのかもしれないなと思います。

 

土蜘蛛の中には田油津媛(たぶらつひめ)という女首長もいたそうで

神功皇后に謀り殺されてしまったようですが、

福岡の蜘蛛塚にお墓が残っているとも言われています。

おそらくは祈祷や呪いなどで土蜘蛛たちを統治していたのではないかと思われますが、

調べようにも謎だらけでかなり時間がかかりそうです。

 

日本人同士での「民族の戦い」という感覚がおもしろく、

古来にはこうした時代もあったのだなぁ…とひとつ学びました(n´v`n)

 

参考:日本大百科全書

 

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