現在歌舞伎座では二か月にわたって、
高麗屋三代襲名披露がにぎにぎしく執り行われていますね!
このおめでたい襲名披露にちなみまして、
江戸歌舞伎の大名跡「松本幸四郎」について少しばかりですがお話してみたいと思います。
なんらかのお役に立てれば嬉しく思います!
團十郎との切っても切れぬ間柄
現在襲名披露をなさっている当代の幸四郎さんは十代目。
ここからぐぐっとさかのぼること300年あまり…
初代松本幸四郎が活躍していたのは延宝・元禄・享保という
歌舞伎がぐんぐんと発展し非常に盛り上がっていた時代でありました。
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初代松本幸四郎は幼名を小四郎といい
松本小四郎を名乗って芝居で活躍、荒事で存在感を発揮していましたが
享保16年に将軍家に小次郎様という若君が生まれたために憚り
「松本幸四郎」に改めたと伝えられています。
「幸四郎」のお名前はこうして生まれました!
この時代には二代目團十郎という現在の歌舞伎のスタイルを築いた名優がいました。
初代幸四郎はそんな大人物と並ぶビッグスターで、
ふたりは江戸じゅうで大評判を呼んでいたそうです。
そんな初代幸四郎が養子にとった子が二代目幸四郎となるわけですが、
この方はなんと「四代目 團十郎」の大名跡を継ぐことになる人物です。
なんでも(彼の実の父は二代目團十郎だった…)などと伝えられており、
いろいろとスキャンダラスであります…!
この二代目幸四郎の人生はなかなかややこしく、
自分の子供に三代目幸四郎を襲名させて
自分自身は四代目團十郎を襲名…
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そして今度は三代目幸四郎に五代目團十郎を継がせ、
自分は再び二代目幸四郎に戻る…というように
二つの大名跡を行き来しました。
そんなことからも、
團十郎の名跡を自分の血で守りたかったのかなぁなどと思ってしまいますが、
このお二人のおかげで江戸の大スターの名跡たちはぐんぐんと育っていきました。
ちなみに三代目幸四郎は、
仮名手本忠臣蔵の由良之助の役が絶品だったと伝えられています。
人柄はとても穏やかで実直、多くの人々から信頼され、
文人ともかかわりを持ち、著作なども発表していたマルチプレイヤーです。
また、二代目幸四郎も「木場の親方(親玉)」などと呼ばれ
中村仲蔵をはじめ門弟たちを集めて芝居研究に明け暮れていたといいます。
お二人とも舞台の上で優れていたのみならず、
舞台を降りても面倒見のいい大きな人物であったのだなとわかるエピソードが
たくさん伝えられています。
次回は、ますます盛り上がる江戸の歌舞伎界についてお話いたします!
参考:歌舞伎 家・人・芸/日本大百科全書