ただいま国立劇場で上演されている「梅雨小袖昔八丈」
数ある歌舞伎演目の中でも非常に有名なものですので、
この機会に少しばかりお話したいと思います。
何らかのお役に立てればうれしいです!
永代橋いまむかし
白子屋の手代・忠七さんに駆け落ちの世話をしてやるよと言って
忠七さんと恋仲のお嬢様・お熊さんを連れ出した新三は、
永代橋に差し掛かったところで突然忠七さんへの態度を変え、
傘でぶんなぐり、啖呵を切って立ち去ってしまいます。
この場面の啖呵を「傘尽くし」と言って
からかさ、番傘、油っ紙…などなど傘にまつわる言葉を小気味よく並べた
髪結新三の大きな見どころのひとつであります。
新三は本当に最低なやつなのに、
粋でいなせな立ち姿、後ろ姿、発声までもうたまらなくかっこいいという
アウトロー美あふれる場面です。
ちなみにこの場面の舞台である永代橋は隅田川にかかるもので、
江戸からは少し位置が変わったようですが今でも渡ることのできる現役バリバリの橋です。
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こちらは歌川広重が描いた永代橋。
江戸時代には何度も大火に焼かれ、大水に流され、
あの富岡八幡のお祭りに押し掛けた見物人の多さに橋が落ちて、
たくさんの方が命を落とされるという大惨事続きの橋でありました。
現在はこんなに立派な橋が架かっており
関東大震災復興の象徴として重要文化財に指定されています。
夜は夜でとても美しいのですが、
髪結新三のイメージとはかけ離れていますね(´▽`)
ここから少し北へ行った両国には
忠臣蔵の敵として有名な吉良上野介のすまい「吉良邸」があったため
このあたりの下町エリアには赤穂浪士ゆかりの地がたくさんあります。
両国界隈の地域に育ったすえひろとしましては
なんだか吉良さんに親しみもありそこまで悪い方とは思えず
高師直にもなにやら親近感を抱いてしまうところがあります(n´v`n)
ちょうど永代橋は赤穂浪士が渡った橋とも伝えられており、
討ち入って本懐を遂げた義士たちが休んだとされる場所が残っています。
お出かけの際にはぜひお立ち寄りくださいね!
アクセス
参考:国会図書館デジタルアーカイブス/深川観光協会