ただいま歌舞伎座で上演中の三月大歌舞伎!
昼の部で上演されている「国性爺合戦」に関するいろいろを
この機会に少しばかりお話したいと思います。
なんらかのお役に立てればうれしいです(人'v`*)
「国」から「姓」を受けて
国性爺合戦(こくせんやがっせん)は、
もともと人形浄瑠璃の演目。
「作者の氏神」「日本のシェイクスピア」などと称される、
日本でもっとも偉大な劇作家のひとり近松門左衛門によって書かれました。
1715年の11月大坂は竹本座で上演されるや猛烈な人気を呼び、
なんと3年にわたるロングランを記録したそうです!!
翌年には歌舞伎としても上演され、京・大坂は大騒ぎになりました。
なぜそんなにもウケたのかといえば、
中国大陸の王朝・明朝の復興を目指して
日本と明国のハーフで荒くれ者のヒーローが
お父さんとお母さんとともに中国本土へ渡り大活躍する
という、あまりにも壮大なスケールの人形浄瑠璃であったからにほかなりません。
鎖国ど真ん中の時代ですから
もちろん海外旅行になど一切行ったことのない人々が見ていたわけですね。
芝居小屋に詰めかけた人々の驚きというのは
それはそれはとんでもないものであったでしょう!
それまでの日本のお芝居ではとても考えられないような、
壮大すぎるスケールの一大スペクタクル作品。
当時の人々にとってどれほどおもしろかったことかと想像すると、
それだけでワクワクしてしまいます。
主人公の和藤内(わとうない)は明国と日本のハーフであるため、
「和」でも「唐」でも「ない」という意味合いでこの名がついたと言われています。
なにやら非常に哲学的な名前です。
近松のアイディアというのはなんともおもしろいものですね(´▽`)
それでは、次からはもう少し掘り下げていきたいと思います!