今月、歌舞伎座では江戸時代の超ロングランメガヒット作品
「国性爺合戦」が上演されていました!
前回作者の近松門左衛門について非常にざっくりとお話いたしましたが、
まだまだ話題の尽きぬ人物ですのでもう一つお話したいと思います。
二代目の窮地を救った作品
義太夫節の祖・竹本義太夫さんとタッグを組んで浄瑠璃を作り、
名優・坂田藤十郎とコラボして歌舞伎狂言でもヒットを連発、
関西を中心にブイブイ言わせていた近松門左衛門。
義太夫が興した人形浄瑠璃の小屋・竹本座は
近松の作品『曽根崎心中』の大ヒットによって、
それまでの負債を一気に返済してしまったとも伝えられています。
その当時の物語についてはNHKドラマ「ちかえもん」でも楽しめます。
しかし近松が60代になりますと、ある転機が訪れました。
それは義太夫の死であります。
義太夫が長く座元を勤め、太夫としても大活躍していた大坂・道頓堀の竹本座は、
これによって大きな危機を迎えることになったのです。
義太夫は生前、自分の後継者として、
幼いころから可愛がっていたあるお弟子さんを指名していました。
しかしながら彼は大変若くまだ20代半ばの若者。
政太夫と名乗ることになりましたが、
この人に二代目がつとまるのかいな、竹本座はどうなるんや、もうあかん、
と大いに危ぶまれたようなのです。
そこで近松が政太夫の美声を活かして盛り立て、
新たなる竹本座をアピールするためにと
渾身のパワーを込めて書いた作品こそが
「国性爺合戦」なのであります!
中国大陸を舞台とする異色のスケール感と
中国と日本のヒーローが大活躍する壮大な物語に人々は大興奮。
こりゃおもしろいぞ、すごいぞと評判を呼び、
足かけ3年間17か月にわたる大当たりをとりました。
このおかげで竹本座は安泰となったわけであります。
義太夫さんの遺志を守らんとする、熱い思いを感じるエピソードです。
そして晩年にも
「平家女護島(にょごのしま)」
「女殺油地獄(おんなころしあぶらのじごく)」などなど
今に残る名作を次々と創作し、72歳の生涯を閉じました。
近松のお墓についてもうひとつ謎めいたお話を見つけたのですが、
それはまた次の機会にお話したいと思います(人'v`*)
参考:日本大百科全書/文化デジタルライブラリー/小田切秀雄全集