ただいま歌舞伎座で上演中の
團菊祭五月大歌舞伎
十二世市川團十郎五年祭
十二代團十郎さんがこの世を去られてから五年の追善として
ご子息の海老蔵さんが当たり役をお勤めになり
團十郎さんらしく明るく華やかな興行となっています!
明治時代の名優・九代目市川團十郎と五代目尾上菊五郎の
功績をたたえる興行である團菊祭。
江戸の風情を描き出す生世話物を得意とした五代目尾上菊五郎の出世芸となった、
夜の部「弁天娘女男白浪」について少しばかりお話したいと思います。
芝居見物のたのしみのお役に立てればうれしいです。
錦絵から生まれた芝居
弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)は、
1862(文久2)年3月に江戸は市村座で初演された演目。
河竹黙阿弥が二代目河竹新七と名乗っていた時の作品であります。
五人のどろぼうが活躍するので「白波五人男」とも通称されています。
メインキャラクターといえる弁天小僧菊之助は、
美しい武家のお嬢様とみせかけてゆすりをはたらき、
バレて悪党の素性を見せる、魅力たっぷりの役柄です。
このキャラクターはそもそも、
街で流行っていた錦絵から生まれたという説があります。
イラストからお芝居が生まれるというのはさながら
現代における漫画原作ドラマのようだなとワクワクしてしまいますね。
その浮世絵というのはこちら…
三代目歌川豊国『豊国漫画図絵』のひとつ「弁天小僧菊之介」!
芝居のようすを描いた役者絵のように感じますけれどもそうではなくて、
三十作ほどの錦絵のシリーズとして人気を博していたものです。
流行りの錦絵を目にしてうわぁカッコいいなぁと感じたのでしょうか、
19歳の若者であった五代目尾上菊五郎(当時は十三代目市村羽左衛門)が
「これを演じてみたい」と黙阿弥(当時は新七)に相談。
さっそく黙阿弥は市村座の楽屋に『豊国漫画図絵』を取りそろえ、
海に飛び込まんとする日本駄衛門の姿や
稲妻の着物を着て海辺で血を流している南郷力丸の姿などから
5人組のカッコいいどろぼう衆「白波五人男」を発想したとのことです。
語りと呼ばれる現代のコピーのようなものには
「豊国漫画姿其儘歌舞伎仕組義賊伝(とよくにまんがすがたそのままかぶきにしくむぎぞくでん)」
と書かれています。
実はこのお話には諸説あり、
黙阿弥はそもそも芝居にするつもりで豊国と組み、
先行発売したカッコいい錦絵で大いに話題を呼んでから芝居を打ち出して
大当たりを取ろうと考えていたという見方もあるようです。
黙阿弥は天才作者のみならず
敏腕プロデューサーでもあったのか…!と興奮してしまうエピソードです。
世の中が平和で娯楽が豊かに発展したからこそ、
現代にも通ずるような大規模なメディアタイアップの戦略が打ち出せたのですね。
江戸時代の人々の心豊かな暮らしぶりに尊敬の念が深まるばかりです(n´v`n)
参考:歌舞伎の衣裳【鑑賞入門】/日本大百科全書