ただいま歌舞伎座で上演中の
八月納涼歌舞伎!
第三部「盟三五大切」は大変有名な演目ですので、この機会に少しばかりお話いたします。
芝居見物の楽しみのお役に立てればうれしく思います!
四谷怪談の大ヒットを受けて
盟三五大切(かみかけてさんごたいせつ)は、
文政八年(1825年)の9月に江戸は中村座で初演された歌舞伎の演目であります。
作者は大南北と呼ばれた江戸の名作者・四世鶴屋南北です。
実は南北…この初演の二か月前、夏真っ盛りの7月には
同じ中村座であの有名な「東海道四谷怪談」を上演して大当たりを取っているのです!
東海道四谷怪談といえば、
仮名手本忠臣蔵の登場人物の関係を巧みに使って怪談ものに仕上げている
ジャンルを超越したスピンオフドラマ。
塩冶家(浅野内匠頭)の浪人であるはずの伊右衛門が妻のお岩さんを捨てて、
高師直家(吉良上野介)の家臣の家の娘と結婚してしまうことがきっかけで、
怨念渦巻くおそろしいストーリーが展開していきます。
そんな四谷怪談の続編として忠臣蔵の世界と、
大坂で起こった「曾根崎五人斬り事件」、
そしてこれより30年ほど前の寛政6年(1794年)に並木五瓶が書いた
「五大力恋緘(ごだいりきこいのふうじめ)」を取り入れたのが
盟三五大切であります。
えっそんなにいろいろ取り入れちゃうんだと衝撃を受けますが、
これこそが南北が得意とする「綯交ぜ(ないまぜ)」と呼ばれる手法であり、
なんでもありだぜ!といわんばかりに面白く仕上げるのが天才とされるゆえんです。
しかしながら”ヒット作の続編は不発”という現象は当時から同じであったのか、
盟三五大切は初演以降、ほとんど上演されることはありませんでした…
当時の中村座の人々はさぞや意気消沈したことと思います…
ふたたびこの作品が日の目を浴びるのは、
ぐっと時代が進んだ昭和51年(1976)8月 国立劇場小劇場。
初代尾上辰之助(三代目松緑)が源五兵衛を、
孝夫時代の仁左衛門さんが三五郎を、
玉三郎さんが小万をお勤めになった舞台からであります。
今こうして盟三五大切のおもしろさを知ることができるのは
とてもしあわせなことですね!