ただいま歌舞伎座で上演中の
秀山祭九月大歌舞伎!
夜の部「俊寛」は歌舞伎の定番といえる演目のひとつですので、
この機会にと少しばかりお話しております。
芝居見物の楽しみのお役に立てればうれしく思います!
俊寛と安徳帝ゆかりの島
俊寛(しゅんかん)は、
1719年(享保4年)の8月に大坂は竹本座にて初演された人形浄瑠璃の演目。
歌舞伎としては翌年のお正月に大坂は中の座にて初演されました。
日本のシェイクスピアと呼ばれる天才・近松門左衛門の作で、
本来の題名は「平家女護島(へいけにょごのしま)」といって、
全五段からなる長いお話です。
現在呼ばれている「俊寛」という名前は、
繰り返し繰り返し上演されている二段目の鬼界ヶ島の段の呼び名であります。
1、3人で孤島に島流しにされていて、
2、ある日、赦免の知らせを受けるが、
3、ただひとり自分の名前だけがなく、
4、孤独と絶望の中で仲間の乗った船を見送る…
といった流れですが、詳しいあらすじをご説明する必要もないほどに、
見ていれば気持ちがありありとわかる演目です。
俊寛が流罪になった島「鬼界ケ島」というのは、
鬼の世界という字面からして、なんだか恐ろしげな雰囲気です。
この鬼界ヶ島が薩摩の国であるということまではわかっているのですが
実際にどこの島であるかというのは諸説あり、定かではありません。
なかでも、薩摩半島の南端から南西にのびる南西諸島の
最北部に位置する硫黄島(いおうじま)説が濃厚のようですので
すこしばかり調べてみました。
太平洋戦争の激戦地として知られ、映画「硫黄島からの手紙」でも描かれた
東京都の硫黄島(いおうとう)とは違います。
小さな島ながら標高700mを越える火山がドカンとそびえ、
もくもくと白煙が上がっている日もあるそうです。
俊寛伝説の残るこの島では、
十八代目中村勘三郎さんが実際に船の上で俊寛をお勤めになったこともあり
この記事にはありがたいことに当時の写真が残っていました!
この島の大自然を背景にすると、
俊寛の寂しさ、絶望感がよりリアリティを持って伝わってきそうです。
生で拝見できなかったことが残念でなりません。
しかしながら硫黄島には、
まさに勘三郎さんがお勤めになっているような鬼気迫る姿の俊寛像があり、
俊寛をしのんだ「俊寛堂」なるものもあるそうですから、
一度訪れてみたい場所がまたひとつ増えたなあという思いです。
そしてなんとこの島には「義経千本桜 渡海屋・大物浦の場」で
知盛が命を懸けて大切にまもり、そして義経に託された幼君であった
安徳天皇の墓所があるというのです!
まさか帝が流刑地にいるとは思われず安全であろうという知恵と思われますが、
安徳天皇はあの悲劇のあと無事に育ち、子をもうけ、
そして俊寛が流されたかもしれない硫黄島に眠っているなんて…と思うと
史実とフィクションが織り交ざり非常に感慨深く泣けてきます…!
二つの名作が思わぬところでつながるなんて、なんともおもしろいですね(´▽`)
参考文献:鹿児島県/日本大百科全書/百科事典マイペディア