この週末は国立劇場にて、12月文楽公演
鎌倉三代記(かまくらさんだいき)
伊達娘恋緋鹿子(だてむすめこいのひがのこ)
を見てまいりました。
文楽はまだ謎だらけの世界でありますが、
頭の中で歌舞伎の世界と繋がったり離れたり
見れば見るほどに新たな発見があり、大変おもしろいです。
今回の「鎌倉三代記」は歌舞伎でも大変有名な演目ですが、
実のところ歌舞伎ではまだ自分の中でおもしろさを見つけることができずにおりました。
しかし原作である文楽を見てみますと、
時姫がお姫様の姿でたすき掛けをしてお豆腐を買ってきたり、
片方の胸を出した女性にあれこれ言われながら懸命にお米を研いだりと
おかしみのある場面に世話女房らしいけなげさがたくさんちりばめられていて、
時姫が置かれている状況がよくわかります。
また、お姑さんが時姫の槍をあえて受けて亡くなるというショッキングな場面もあり、
やっぱり文楽の女性ってものすごく強くてかっこいいなあと感じ入りました。
男性が女性を演じている歌舞伎の世界とはまた違うスーパーウーマンぶりに憧れます。
そして今回非常に感銘を受けたのは
いわゆる「八百屋お七」で有名な「伊達娘恋緋鹿子」であります。
八百屋お七というのは江戸本郷の八百屋の娘さんで、
お寺の小姓さんと恋仲になってしまい、
その人に再会したい一心で放火犯になり死刑になってしまったという激情型の女性であり、
多くの浄瑠璃や歌舞伎に脚色されて一躍有名になった人物であります。
歌舞伎でいうとやはり有名なのは「三人吉三」のお嬢吉三の脚色かと思いますが
そのルーツであるこの文楽の「伊達娘恋緋鹿子」は初めて拝見いたしました。
今回は「八百屋内の段」からの上演ということで
八百屋お七がどうして罪を犯してしまったのか、その事情がよくわかり…
これまでお七の事を単なる激情型の危険な女性と思っていて申し訳なかったです…。
お七は直前に、想い人の吉三郎とニアミスしていたとは。
ギリギリの状況にある好きな人とすんでのところでニアミスしてしまうというのは
ただ単に会えなかったということよりも、爆発的に駆り立てられるものがありますよね。
駆り立てられて櫓に登り、鐘を鳴らさんと必死になるお七の情念が
非常にリアルに胸に迫ってきて、
このまま時代が進みいつでも思いが通じるようになっていくと、
情念というものは失われてしまうのかなあなどと思いながら思わず涙がこみあげてきました。