ただいま京都は南座で上演中の
南座発祥四百年 南座新開場記念
白井松次郎 大谷竹次郎追善
當る亥歳 吉例顔見世興行
京の年中行事 東西合同大歌舞伎
夜の部「義経千本桜」は三大狂言のひとつにも数えられる
名作として知られる演目ですのでこの機会にひとつお話いたします。
芝居見物のお役に立てればうれしく思います。
シャッフルされた鮓桶が…
義経千本桜(よしつねせんぼんざくら)は、
1747年(延享4年)11月に大坂は竹本座にて初演された人形浄瑠璃の演目であります。
評判をうけてその2か月後の1748年(延享5年)に歌舞伎でも初演。
以来、実に270年にわたり愛されている名作中の名作です。
「仮名手本忠臣蔵」「菅原伝授手習鑑」と並んで、
三大狂言のひとつに数えられています。
<前提>
源義経は源平合戦で大きな功績を上げたがお兄さんの頼朝に疎まれ都を追い出されてしまった。
滅ぼされたはず平家のさむらいたちは復讐の機会を狙っている。
<ざっくりとした流れ>
・鳥居前:くまどりの男が駆け抜けるド派手な場面
↓
・渡海屋・大物浦:平家のさむらいの無念を描く格調高い時代物の悲劇
↓
・吉野山:桜の中での美しい道行
↓
・すし屋:お寿司屋さんのどら息子が起こす世話物的な味わいのある悲劇
↓
・四の切(しのきり):親を思う子狐のファンタジー
今月上演されている「すし屋」の段は、
その少し前の場面である「木の実」から上演されています。
いきなり「すし屋」から上演されることも多いのですが、
木の実を先に上演することでよりわかりやすくなり
すし屋のドラマに厚みが増すという仁左衛門さんのお考えだそうです。
ですので、非常にざっくりとではありますがあらすじをお話しております。
③では、いがみの権太の妹・お里の機転で維盛と若葉の内侍、六代君が逃げ、
いがみの権太が鮓桶を持って追いかけていくところまででした。
国会図書館デジタルコレクション
ここで、どたばたしていたすし屋に突如、緊張が走ります。
なぜなら維盛卿を捜索している鎌倉方の梶原景時が弥左衛門さんに、
維盛がいるんだろう、首を取って渡せ、と迫って来たからであります。
大勢の家来を引き連れ、ものものしい雰囲気です。
弥左衛門さんはこの時のため、小金吾の首を取っておいたのです。
さあ!いまだ!と鮓桶を開けて差し出そうとするも、づかづかと乗り込んださむらいたちにすごまれてしまいます。
やややなんということだ…と老夫婦とお里が慌てているところへ
「維盛の首を取ったぞ!妻とその子どもは生け捕ったぞ!」
といういがみの権太の声が聞こえてきました。
堂々と帰って来た権太は梶原景時に維盛卿の首を差し出し、
おまけに若葉の内侍と六代君を後ろ手に縛って引き連れてきました。
梶原景時はこの首と妻子を見て、これは維盛たちに違いないと納得、
詮議を終えて権太に陣羽織を授け、帰ってゆきました。
いがみの権太は弥左衛門さんが大切にお守りしていた維盛さま、
お里が懸命に守った妻子の命を鎌倉方に差し出し、
梶原景時にむかって「褒美をくれ」とまで言ったのです。
本当にどうしようもない、なんてことをしてくれたんだと
怒り心頭に発した弥左衛門さんは、
なんと、権太の腹に向かって刀を突き立てたのでありました…
深手の傷を負い、息も絶え絶えとなった権太は、お父さんに語りかけます。
維盛さまの首に見えたのは、お父さんの思惑通り小金吾の首なのですと。
取り違えた鮓桶に首が入っているのに驚き、お父さんの企みに気が付いて、
偽首では見抜かれてしまうと思ったんだというのです。
そのため権太は、なんと若葉の内侍と六代君に見せかけ、
自分の妻と子に鎌倉方に差し出したのだ…と。
権太の合図で維盛さまとその妻子がやってきて、
権太が言っているのは本当のことなのだとわかります。
権太を勘当していた弥左衛門さんは、息子の築いたあたたかな家庭を知り、
なんてことを…と深く悲しみました。
と、そんな折、先ほど梶原景時が渡してきた陣羽織に
暗号めいたメッセージが刻まれていることに気が付きます。
メッセージどおりに陣羽織を切り開いてみますと、
なんと中から出てきたのは数珠と袈裟。
これは他でもない鎌倉方からの
「出家してください(維盛さまを助けます)」というメッセージです。
まさしく、おごれるもの久しからず…と察した維盛さまは出家を決意。
命は守られることとなりました。
となると、権太とその大切な妻子の死は一体なんだったのでしょうか。
お父さんの役に立ち、どうか真人間に戻りたいと願って鎌倉方をだまそうとしましたが、
かえって自分の命をかたり取られたようなもの。
なんて浅ましい身なんだろうと嘆きながら、権太は命を落とすのでした。
…と、ここですし屋は幕となります。
どうしようもなく悲しい、胸を絞るような名場面であります。
それはそうと、お気づきでしょうか?
「義経千本桜」と言いながら、この場面には肝心の義経が一切出てこないのですね(´▽`)
「渡海屋・大物浦」「すし屋」はいずれも平家をめぐる人物の
熱い感情の渦がぐるりぐるりと繰り広げられる名場面です。
追われるもの、滅びゆくものに心動かされるのが日本人の常というもののようです。