ただいま浅草公会堂にて上演中の
新春浅草歌舞伎!
松也さんを筆頭とする若手の人気花形役者の方々が
古典や新歌舞伎の大役に挑戦するという話題のお正月公演であります。
第一部で上演されている「源平布引滝 義賢最期」は、
松也さんが昨年に引き続いて仁左衛門さんのご指導のもとお勤めになっている演目です!
今回初めて歌舞伎をご覧になった方もおいでのことと思いますので、
この機会に少しばかりお話したいと思います。
何らかのお役に立てれば幸いです!
「最期」までのざっくりとした流れ
義賢最期(よしかたさいご)は、
「源平布引滝(げんぺいぬのびきのたき)」という人形浄瑠璃のお芝居の一部。
「源平盛衰記」「平家物語」を元にして作られた全五段のうち二・三段目の場面が
・二段目:義賢最期(よしかたさいご)
・三段目:実盛物語(さねもりものがたり)
として、それぞれ人気演目として上演されています。
のちに長野の北部で兵を挙げ、倶利伽羅峠の戦いにて圧勝、
平家を都から追い落した伝説のスーパー武将となる木曽義仲のお父さんである
木曽義賢の壮絶な死にざまをドラマチックに描いたものが、
その名の通り義賢最期(よしかたさいご)の場面です。
どういった死にざまであったのか?ということを、
ざっくりとお話したいと思います。
時は平家全盛の時代…
病気で自分の館にこもっている木曽義賢。
平清盛に降伏して表向きには平家に仕えているように見せつつも、
源氏の白旗を密かに手に入れ、源氏の再興を…という
それはそれは強い思いををつふつとたぎらせていました。
そこへ平清盛からの使者がやってきて、義賢を屈服させてやろうと、
源氏の白旗を出すか、さもなくば兄義朝のどくろを踏んでみせろなどという
ひどいことを言って迫ってきたために、義賢は怒り心頭に!!
これはもう我慢ならぬ、平家の軍勢を自分ただ一人で迎え討ってやる!!
と、討ち死に覚悟で決意するのです。
義賢は娘や身ごもった妻たち、
そして大切な源氏の白旗をゆかりの人々に託して逃がれさせ、
鎧兜などの武具は一切身につけることなく、美しき素襖姿で立ち向かいます。
たった一人で平家に相対する義賢の死を覚悟した美学なのであります。
国立国会図書館デジタルコレクション
まもなく義賢の館は平家の軍勢に攻め込まれ、
身一つで立ち向かう義賢は満身創痍…
ついに力尽き、崩れ落ちるように倒れ、息絶えるのでした。。
血だらけになりながら力の限りを尽くして迎えた義賢の「最期」は、
孤独で悲壮でありながら、崇高な美すら湛えているように思います。
実際の芝居では攻め込まれ息絶えるまでの場面は、
迫力満点の大立ち回りで演出されます。
この大立ち回りについてもぜひお話したい事柄がありますので、次回に続きます!
参考文献:とにかく芝居がすき/新版歌舞伎事典