ただいま歌舞伎座で上演されている二月大歌舞伎
夜の部「熊谷陣屋」は上演機会の非常に多い演目ですので、
前回のまとめに引き続きまた少しばかりお話したいと思います。
芝居見物の何らかのお役に立てればうれしく思います。
これまでのまとめ
ご縁があらばと女子どし
熊谷陣屋(くまがいじんや)とはそもそも、
1751(宝暦元)年に大坂は豊竹座にて初演された人形浄瑠璃の演目の一場面。
平家物語を脚色した「一谷嫩軍記」という全五段の浄瑠璃の、
三段目の切にあたる場面が「熊谷陣屋」として繰り返し上演されています。
平家物語の涙を絞るような名場面「敦盛最期」をおおきく脚色したものです。
非常にざっくりとした状況説明としては、
・時は源平合戦、義経の家来の熊谷次郎直実が主人公。
・直実は「敵方・平敦盛の命を助けるべし」というメッセージを受け取った。
・義経さまはかねてより桜に「一枝を伐らば、一指を剪るべし」という制札を立てていた。
・いっしを切らば、いっしを切るべし…→いっし=一子…!!
・熊谷はやむを得ず自らの一子、小次郎を…!
・そして自らの陣屋へ戻るとなぜか妻が…!
という、たいへん緊迫したものです。
登場人物それぞれギリギリの心理状態が描かれています。
国立国会図書館デジタルコレクション
熊谷陣屋は男のドラマという印象ですけれども、
相模と藤の方の母親としての想いにも胸を打たれるお芝居であります。
熊谷に我が子を討たれた!と思っている藤の方と、
その討たれた首が実は我が子であったと後から知る相模。
事実が明らかになったあとの二人の胸の内を思いますと、
胸が締め付けられるようです。
しかしながらこの二人がどういった間柄なのか?ということが
一見わかりにくいかと思いますので、
初めてご覧になる方のためにざっとお話したいと思います。
はじまりは熊谷と相模夫婦のなれそめまでさかのぼります…
若き熊谷は佐竹次郎という名で、
京都の御所で藤の方に仕えていた相模と出会います。
恋に落ちた二人は子供をもうけることになりましたがこれは不義の罪。
処罰されてしまう…というところを、
藤の方のお情けで助けてもらい、東へと下ることが叶ったのです。
そして無事に東で生まれたのが一子・小次郎くんです。
それから16年の時が経ち、
すくすくと育った小次郎くんは若武者となり、初陣の日を迎えたのでした。
そんな大切な息子の初陣が心配でたまらない相模はついつい
戦場である熊谷の陣屋まで訪ねてきてしまったというわけです。
相模にとって藤の方はそんな大恩人であり、
もともとの主従関係もあるために、
どうしてうちの子が身替りなのか、どの子の命も平等である、
という現代的な人権感覚とは違った思いで、
悲しみをぐっと飲みこまなくてはならないわけです。
我が子の首を抱え、さむらいの妻として感情を殺しながらも
受け入れがたい現実に身もだえしてるような
「相模のクドキ」と呼ばれる場面は見どころのひとつです。
参考文献:歌舞伎登場人物事典