ただいま歌舞伎座で上演されている
三月大歌舞伎!
昼の部「傾城反魂香」は比較的上演頻度も高く、
以前もお話したものがあったため一度まとめました。
しかしながらまだまだお話がいろいろとできそうですので、
いくつか続けていきたいと思います。
芝居見物の楽しみのお役に立てれば幸いです。
江戸時代の「絵」を描くお仕事
傾城反魂香(けいせいはんごんこう)は
1708年に大坂は竹本座にて人形浄瑠璃として初演、
11年ののちに歌舞伎で上演された近松門左衛門作の演目です。
頻繁に上演されている「土佐将監閑居の場」のごく簡単なあらすじは
一、吃音の絵師・浮世又平は「土佐」の苗字を名乗らせてもらいたく、妻のおとくと共に師匠の家を訪ねた。
二、師匠に厳しく反対され、絶望した又平はもう死んでしまおうと決意。
三、最後の作品として手水鉢に自画像を描く…
四、すると、この自画像が手水鉢を突き抜けるという科学では説明のつかない奇跡をおとくが発見!
五、この奇跡を受けて師匠は苗字を許してくれたとさ、めでたしめでたし…
といったものです。
吃音というハンディキャップのために、お土産の絵を描いて生計を立て、
御用絵師として苗字は授けてもらえずにいる又平とその妻おとくの苦しみが
痛いほど伝わってくるお芝居であります。
そもそも江戸時代の「御用絵師」という仕事はどのようなものだったのか、
少しばかり調べてみました。
御用絵師とは幕府や大名お抱えの画家として依頼を受け、
お城やお屋敷などの障子や壁などに見事な絵を描いていた人々のこと。
江戸の絵師「暮らしと稼ぎ」より江戸城大広間の断面模型
それなりのクオリティと格式の高さが求められる大切なお仕事です。
御用絵師になるには、御用絵師の家の師匠から徹底的に模写の教育を受け、
師匠の家の名を一字拝領して一人前となるコースが多かったようですよ。
幕府の御用絵師の中には将軍さまにお目見えできる奥絵師という地位もあり、
この人々は平均して二百石二十人扶持ものお給料と、
プロジェクト完了ごとにボーナスなどが入り待遇が非常に良く、
御用絵師の中でもハイクラスであったようです。
将軍さまには会えない地位の絵師たちは表絵師と呼ばれ、
二十人扶持か五人扶持で必ずしも拝領屋敷があったわけでもないとのこと。
なかなかの厳しい格差社会ですね…。
そのうえ御用絵師に対して浮世絵師などをはじめとする市井の民間絵師は、
「町絵師」とよばれ、なかば蔑視されていたようであります。
浮世絵はいまや素晴らしいアートとして世界的に知られ、
展覧会などが開催されると大変な混雑ですけれども、
当時はやはり御用絵師の方がずっと地位が高かったようです。
それでも表絵師だけでは食べていけず、
こっそりとアルバイトをしたり町絵師のような仕事をしたりする人もいたようです。
どんなに才能があってもチャンスがなければ大成するのは難しいというのは
今も昔も変わらないのですね…。
いずれにせよデッサンのような西洋絵画のノウハウがないなかで描かれた
見事な日本美術の数々、素晴らしいセンスだなあと感動してしまいますね!
参考文献:江戸の絵師「暮らしと稼ぎ」