ただいま国立劇場小劇場で上演されている3月歌舞伎公演!
積恋雪関戸は上演頻度も高い人気の演目であり、
ぐっと春めいて桜も咲き始めた近ごろの陽気にもぴったりですので、
上演日数が残りわずかとなりましたが少しばかりお話いたします。
今回の補足や、次回の芝居見物のお役に立てればうれしく思います。
不安な時代に上演された夢のような顔見世狂言
積恋雪関戸(つもるこいゆきのせきのと)は、
1784年(天明4年)11月江戸は桐座にて初演された演目です。
顔見世狂言として上演された
「重重人重小町桜(じゅうにひとえこまちざくら)」という長い演目の大詰の部分で、
作詞は宝田寿来、作曲は初代鳥羽屋里長と伝わっています。
「関の戸(せきのと)」と呼ばれることが多いです。
この演目が上演された前年の1783年、
上野の国と信濃の国の間の浅間山が噴火して大量の火山灰とマグマが流れ出し、
江戸の町も影響を受けて大変な騒ぎになったようです。
この土地から流れ出した土石流は人や牛馬を押し流し、
はるか江戸川にまで辿り着いたそうであります。
これにより農作物も甚大な被害を受け、
1782年頃から始まっていた「天明の大飢饉」はさらに加速。
関東を中心に全国的に人々が飢え、疫病が流行るといった、大変つらい時代でした。
この演目は、そんな時代に上演されたとはすぐには想像できないほどに
おおらかでファンタジックな美しいものです。
当時はたとえ豊かな方であっても天災の不安を抱えていたはずで、
このような世界観に触れてほっと安らぐことができたのかもしれないなあ…などと思います。
楊洲 周延 中村芝翫の大友黒主(The MET パブリックドメイン)
初演で大友黒主を勤めたのは人気役者の初代中村仲蔵です!
人気者が勤める謀反人に人々の心はさぞかし沸き上がったことでしょう。
お芝居の力というのは本当に偉大ですね!
現代も災害の続く不安な日々ですが、劇場へ行けばひととき忘れることができます。
勘九郎さんのおっしゃる、
役者はノアの箱舟には乗れない職業だけれども、乗る人を元気に送り出す仕事(意訳)
というのをしみじみ味わっております。
参考文献:新版歌舞伎事典/ハザードラボ/ニッポニカ