ただいま歌舞伎座にて上演中の
團菊祭五月大歌舞伎
新元号令和最初の記念すべき歌舞伎公演です!
夜の部「京鹿子娘道成寺」は数ある歌舞伎舞踊の中でも
屈指の名作として知られています。
この演目については過去にもお話いたしましたが、
お話し足りない部分が多いのでいろいろと加えてまいります。
芝居見物のお役に立てればうれしく思います!
道成寺の鐘はいまどこに
京鹿子娘道成寺(きょうがのこむすめどうじょうじ)は、
1753年(宝暦3)年3月に江戸は中村座にて初演された舞踊演目。
江戸時代中期に活躍した元役者の歌舞伎作者・藤本斗文(とぶん)の作で、
初代杵屋弥三郎が作曲を担当、名女形の初代中村富十郎が初演したと伝えられています。
初代中村富十郎(THE MET・パブリックドメイン)
ここまで京鹿子娘道成寺の内容についてつらつらとお話してまいりましたが、
道成寺は和歌山県日高郡に実在しているお寺であります。
京鹿子娘道成寺の舞台の上でドーンとつるされている釣鐘。
安珍清姫伝説の象徴のようなアイテムですけれども、
実はこの道成寺には肝心の鐘がないのだそうであります!
道成寺の初代の鐘は平安時代、
安珍と清姫の一件でメラメラと焼かれてしまったのですが
鐘供養が営まれても音が悪く、悪病や災いが次々に起こったために、
気味の悪いものだと恐れられたのか山に捨てられてしまったそう。
それから200年が経った天正13年(1585)
仙石秀久というさむらいが戦の途中でたまたまこの鐘を拾い
「ちょうどいい、陣鐘として使おう!」と持ち去ってしまい、
そのままはるばる京都まで運んでしまったのです。
そしてその2年後、道成寺の鐘は京都は妙満寺なるお寺に奉納され、
今も道成寺では三代目の鐘を作らずそのままにされているのだそうであります。
舞台の上ではそれはそれは巨大な鐘として作られている道成寺の鐘。
ここまで調べていて、
えっ…鐘ってそんな遠くまで運べたのかな…?かなり重いのでは…?
と思ったこのすえひろ、さらに調べてみますと雀右衛門さんの記事を見つけました。
2016年に歌舞伎座でお勤めになる前に
妙満寺で成功祈願をなさったときのもののようです。
道成寺の鐘は意外と小さかったのですね…!!!
これくらいならば確かに、さむらいや馬のがんばりで運べそうです!
京都の妙満寺に今も安置されている鐘
「鐘に恨みは数々ござる…」と歌われ続けている鐘はどのようなものか
いつかぜひ拝見してみたいものです。
参考文献:道成寺/日本舞踊曲集成/新版歌舞伎辞典/松竹歌舞伎検定公式テキスト
長唄《京鹿子娘道成寺》に摂取された謡-旋律とアクセント‐