ただいま歌舞伎座で上演中の六月大歌舞伎!
夜の部は人気脚本家の三谷幸喜さんによる三谷かぶきが話題を呼んでいますが、
昼の部も古典歌舞伎の名作が並んでおり見逃せません。
特に「恋飛脚大和往来 封印切」は比較的上演頻度の高い演目ですので、
この機会に少しばかりお話ししてみます。
芝居見物のお役に立てればうれしく思います!
人のお金を預かる商売
恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)は、
1711年(正徳元年)に大坂は竹本座にて初演された
近松門左衛門の作品「冥途の飛脚」を、
約85年後の1796年(寛政8年)に同じく大坂は角の芝居にて歌舞伎にしたもの。
もともとのお話はざっくりと3つのブロックに分かれており、
今月上演されているのはその真ん中にあたり「封印切(ふういんきり)」の場面です。
現在ではこの「封印切」と「新口村」の二つの場面が繰り返し上演されています。
人形浄瑠璃の初演の前年に亀屋の養子の忠兵衛という男が
盗んだお金で梅川という遊女を身請けして逃げてしまうという事件があり
「梅川忠兵衛」としていろいろな創作のネタにされてきたそうであります。
近松門左衛門の「冥途の飛脚」が書かれたあともいろいろと改作され、
「けいせい恋飛脚」という浄瑠璃を経て、
この「恋飛脚大和往来」へとつながっていきました。
世話物の演目ですのでお話は大変わかりやすいのですが、
背景にある事情などふくめてざっくりとお話してみます!
舞台は大坂は新町にある井筒屋というお茶屋さんです。
新町といえば、大坂で唯一幕府公認の遊郭が置かれたところ。
江戸の吉原、京の島原と並び称される華やかなりし町でありました。
井筒屋さんのお座敷では、田舎のお大尽が遊びの最中。
お気に入りの遊女梅川を呼びますがなにやら浮かないようすであります。
というのも梅川には大きな心配事があるのです。
梅川は、飛脚問屋・亀屋の養子の忠兵衛と深い仲になっており
いよいよ身請けという話にまで発展、晴れて夫婦となるのも目前でありました。
ところが忠兵衛は身請けのお金の前金までは支払えたものの、
支払いの期日が過ぎても残りのお金の都合がつかずにいたのです。
しかも、忠兵衛がもたもたしているうち、
田舎のお大尽や忠兵衛の友人である丹波屋八右衛門という男が
梅川を身請けする!と言い出してしまいました。
田舎のお大尽はもちろんのこと、八右衛門は大好きな忠さんの友人であるし、
財力をぷんぷんさせるイヤミな男でもあり、
梅川としてはどうしても身請けされたくはありません。
それでもお金で決まる身の上…忠さんにどうにかしてほしいと
手紙を書いても返事はなく、ゆううつな思いでいたのであります。
とそこへ、ちょうどその亀屋忠兵衛が井筒屋にやってきました。
忠兵衛さんはいかにも上方らしい柔らかな色男です。
忠兵衛さんが養子に入った亀屋は「飛脚問屋」といって、
手紙や小荷物、為替などのお金などを運送する商いをしているお店。
現在の日本郵政に近いシステムであります。
ちょうど忠兵衛さんはこのとき、
堂島の蔵屋敷で預かった公金をたんまりとふところに入れていました。
堂島といえば江戸最大の米市場のあった町。
現代でいうところの証券取引所のようなエリアであります。
まとまったお金を手にしているとはいえ、これはいわば人のお金…
梅川の身請けができないことが心苦しい忠兵衛でしたが、
そこはやはり添いたいもの同士、お店のうらでこっそり顔を合わせればうきうきと
梅川の抱え主の槌屋治右衛門に何とか取り合ってもらおうと決心するのでした。
時を同じくして井筒屋には、噂の槌屋治右衛門さんが戻っていました。
治右衛門さんは梅川に八右衛門からの身請けの話を
どうか受け入れてくれないかと頼みたいところだったのですが、
梅川としてはやはり忠さんのところに行きたい、
どうかそうさせてください…と頼み込みます。
治右衛門さんは情深い抱え主、好いた人と添うのが一番と
忠兵衛との身請け話をこのまま進めてあげることにしました。
長くなりましたのでこのあたりで次回に続きます!