本日25日、歌舞伎座にて秀山祭九月大歌舞伎が千穐楽を迎えました!
おめでとうございます!
このすえひろも本日は夜の部を見物してまいりました。
今月はこの夜の部を何度か拝見することが叶いましたが、
配役・狂言立てとも素晴らしく、まさに夢に見るような贅沢な時間でありました…。
様々な配役で何度となく拝見したはずの「寺子屋」ですが、
今月ほど芝居の世界が我が事のように感じられたのは初めてであったように思います。
特に吉右衛門さんの松王丸が幸四郎さんの源蔵に「笑いましたか」と言い、
笑いから泣きへのスイッチが切り替わる瞬間には、
自分でも驚くほどの涙がボロボロボロボロとこぼれてしまいました。
身近な人や肉親を亡くしたばかりの時期など、故人について人づてに、
「あの時こんなことがあって、こんな風に言っていたよ」などと聞くことがあります。
「へ~」と思わず笑みがこぼれてしまうような新鮮な驚きとともに、
故人への猛烈な懐かしさと愛しさがこみあげてきて、笑いながらも涙してしまうような、
死別というもののリアルな味わいが自分の心の中に瞬間的によみがえったようでした。
お化粧をし派手な衣装を着け大げさに発声するという
一見してリアルには感じられない舞台の上から、
こんなにも生々しいものが直接伝わってくるということに凄まじさを感じました。
そして「勧進帳」
念願であった仁左衛門さんの弁慶も今回の興行では見納めと思いますと
幸四郎さんの富樫が登場した段階からもう涙が出てくるようでした…。
仁左衛門さん弁慶の勧進帳はこれまで見てきた弁慶像とは味わいが異なり、
一挙手一投足が音楽と共に緻密に練りこまれ、
細いペンで流麗に描き上げた絵のようです…。
時間がピタッと止まって見える瞬間もあれば、一気に加速して見える瞬間もあり、
まるで漫画のコマ割りを舞台の上に見ているような体験とでもいいましょうか。。
「誇張に誇張を重ねた細かな記号の集合体が生み出す芸術」という意味で、
よく練りこまれた最高の漫画を読んでいるような崇高すぎる時間でした。
一体何が言いたいのか自分でもよくわからず混乱しておりますが、
とにかく現実とは認識できないほどの舞台だったのであります…
弁慶の背中を見送ったあとはその場でしばらくボーっと放心してしまいましたが、
「松浦の太鼓」のおかげでスッキリと気持ちを切り替えて帰宅することができました。
千穐楽の帰路がさわやかかどうかは切狂言にかかっていますね。
つらつら書いているうち千穐楽の日も終わってしまいそうですので、
このあたりでひとまず結びたいと思います。
寂しく名残惜しいですが、どんな芝居にも楽日は付き物ですね。
しばし余韻に浸りつつ十月からの新たな芝居を心待ちにしたいと思います。