数ある歌舞伎演目の中でも屈指の名作として知られる「寺子屋」
三大狂言のうちの一つに数えられる菅原伝授手習鑑の一場面です。
主人公は、菅丞相(菅原道真)から大恩を受けた三つ子の一人でありながら、
菅丞相の敵方・藤原時平に仕える薄情な男だと思われていた松王丸。
そんな松王丸が、菅丞相の一子・菅秀才の命に危険があると知り、
菅丞相の恩に報いるため大切な我が子を身代わりにする…という悲劇であります。
涎くりはいつ卒業するのだろう?
題名の通り、芝居の舞台は江戸時代の教育機関である寺子屋。
寺子屋といえば現代でも塾の名前などに使われるお馴染みの存在ですけれども、
カリキュラムや月謝などの詳しいことは知らないなあ…と思い、
個人的な興味で調べてみました。
というのも、芝居の中に登場する年嵩の少年である
涎くり与太郎のことがなにやら気になったからであります。
涎くり与太郎は年下の子供たちの面倒見が良さそうで、
家族からも愛情をたっぷり受けているようでしたが、
どうやら学習は不得手なのかなあと思われました。
床本によれば彼は15歳だそうですが、塾のチューター的な存在というわけではなくて、
他の子どもたちと同じような内容を学んでいるようです。
寺子屋の卒業というのは一体いつなのでしょうか?
涎くりが不真面目ゆえに手習いがいつまでも身につかないのか、
もともと集団学習になじまない性質で、苦手としているのかは不明でありますが、
おうちでは家族が畑仕事をしているのでしょうし、体力も充分有り余っていそうです。
どうやらお父さまもお年を召されているようす、
寺子屋で遊んでばかりの涎くりならば畑に出て働いてもらった方が、
即戦力となって月謝や文房具のコストも削減できるのではないか……
などと、芝居とは関係のない余計なことを考えていたわけであります。
そもそも寺子屋とは、庶民のための私設教育機関。
江戸や大坂といった都市部だけでなく、山里の農村や海辺の漁村まで広く普及して、
明治時代の記録によれば全国に約1万1200件もの寺子屋が存在していたそうです。
現代にはない身分制度の存在から厳しい格差社会を想像してしまいますけれども、
もしかしたら現代の方が教育格差が深刻なのかもしれないなあなどと思いました。
先生に関しては、現代のような教職の資格試験などはなく、平民がもっとも多かったとのこと。
芝居でも源蔵が「お師匠はん」と呼ばれていたように、
先生と子どもたちは「師匠」と「寺子」の間柄として教育に臨んでいました。
授業の項目は読み・書き・計算・そろばんでしたが、
最も重視されたのは「書くこと」だったそうです。
源蔵は菅原道真直伝の筆法を持つ男ですから、師匠としてはうってつけ。
いきなり山里に寺子屋を開いていたとしても、さほど不自然なことではなさそうですね。
長くなりましたので、このあたりで次回に続きます…
参考文献:文部科学省/ブリタニカ国際大百科事典
江戸時代の教育制度と社会変動 井出草平