歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい研辰の討たれ その三 武士の身分はお金で買えた

ただいま歌舞伎座で上演中の吉例顔見世大歌舞伎

昼の部「研辰の討たれ」は上演の頻度は比較的低いものの、

大正時代の近代的視点が見える興味深い演目でありました。

せっかくですので、この機会に少しばかりお話してみます。

芝居見物のお役に立てればうれしく思います。

武士の身分はお金で買えた

研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)は、

大正・昭和期の木村錦花が大正14年(1925年)に発表した読み物を、

錦花よりも20歳近く年若く脚色の活躍で知られている平田兼三郎(兼三とも)なる人物が、

一幕三場という実にちょうどよい尺の芝居として見事に脚色、

その年の暮れに歌舞伎座で初演されたものであります。

 

内容を本当に簡単にお話いたしますと、

刀の研ぎ師からさむらいの身分を手に入れた守山辰次が、

家老を逆恨みしてだまし討ちにし、その息子たちから敵討ちされる…というものでした。

 

辰次は武士の仲間から「にわか侍」と悪口を言われ嫌われていますが、

口が達者で屁理屈ばかり言い、全然負けていないというのもユーモラスであります。

 

江戸時代には「士農工商」という身分制度があったというのはお馴染みです。

芝居の世界でもさむらいが絶対的に偉く、

その下にある身分である農民・職人・町人が彼らの社会をなしていて、

さむらいに対しておびえたりいきがってみたり馬鹿にしてみたり…という姿が描かれています。

 

芝居で見るとなにやら絶対的隔たりのように思われますけれども、

実はこの武士の身分というものは、お金で売り買いすることもできたようなのです。

 

いくら武士といっても、たとえば加賀藩のように石高が大きくて

ゆとりのあるお金持ち大名に仕えていなければ生活は苦しく、

それでもさむらいたるもの立派でなければならぬ…という心持で日々過ごしていたのでしょう。

 

その反対に、身分はさむらいより低くとも商いに成功し裕福になって、

経済をどんどん回し、うちもそろそろちょっと名誉が欲しいわねという商人たちも、

市井にはたくさんいたわけであります。

 

そこで、苦しい財政状況を乗り切るために、

農工商に対して大金で身分を売り出す藩もあったようで、

「武士とそれ以外」というのは芝居で描かれているよりも

ずっとふんわりとした隔たりであったのかもしれません。

 

とはいえ、身分を買った町人が武士の間で、

研辰のように「にわか侍」といじめられていたのかどうかはよくわかりません。

しかし、日々畑と向き合ったり商いを広げたり手に職を付けたりして

理不尽に耐え社会の荒波を渡り歩いてきた人々であれば、

そんなことも、ふん、と突っぱねられるだけの度量もありそうだなあと想像されます。

 

研辰とは反対に武士から町人になった歌舞伎の重要人物が、あの近松門左衛門です。

近松は武士の家に生まれながら、浄瑠璃や歌舞伎の作者となるため自ら町人になり、

人々の営みをつぶさに観察して素晴らしい作品の数々を後世に残したのであります。

もし武家にとどまっていればこうした作品は生まれなかったかもしれず、

現代で芝居を楽しむ者として近松の決断に感謝の念が湧いてきます。

 

士農工商制度がなくなった現代の視点から考えると

こうした隔たりそのものが非常にドラマチックで、悲劇的にも捕らえがちになります。

しかし実際には、それぞれの身分の人々がプライドを持って

生き生きとした社会を作っていたようで、江戸時代へのあこがれがさらに募りました!

 

参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎登場人物事典/江戸時代の「格付け」がわかる本

新版 歌舞伎事典

新版 歌舞伎事典

 

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