ただいま歌舞伎座で上演中の壽 初春大歌舞伎!
昼の部「奥州安達原 袖萩祭文」は、時代物の傑作として有名な演目であります。
今月は安倍貞任・宗任兄弟を芝翫さん・勘九郎さんがお勤めになっています。
義太夫狂言らしい悲劇もあり、歌舞伎らしい華やかさもありグッとくる演目ですので、
この機会に少しばかりお話してみます。
芝居見物のお役に立てればうれしく思います。
落ちぶれた娘と父母の悲しい再会
奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)は、
宝暦12年(1762)9月に大坂は竹本座にて初演された人形浄瑠璃の演目。
翌年に江戸で歌舞伎に移されました。
平安時代末期に陸奥の国で繰り広げられたいわゆる「前九年の役」のあとが舞台。
奥州に攻め入った八幡太郎義家への復讐を目指し、
再挙しようとがんばる安倍貞任・宗任兄弟の姿を描きます。
全5段にわたる演目でありましたが三段目にあたる「環宮明御殿の場」が上演されることが多く、
現在も「袖萩祭文」の通称で上演されています。
あらすじをお話しておりますが、上演のタイミングや配役などにより若干変わることもありますので、
ざっくりと内容を掴んでいただければと思います。
義太夫狂言では「太夫の語り+役者のセリフ=状況・役柄のことば・心情」
というような作りで物語が進んでいくため、
初めてご覧になる場合は全てを聞き取ることはなかなか難しいかと思います。
内容をあらかじめ押さえておきますと、どちらも聞き取りやすくなりおすすめです。
②では、環宮さま誘拐事件の責任を取らされた養育係の直方の二人の娘のうち
姉娘である袖萩のこの上ない苦労話をお話いたしました。
ここまでで演目をとりまく特筆すべき事情はお話できましたので、
ここからはややスピードアップして流れをお伝えしていきたいと思います。
枝折戸の外で袖萩がわが身を嘆く声を聞きつけ、何事かと奥より出てくる父・直方。
外のようすを伺いますと、まさしくあの駆け落ちした娘・袖萩がいるではありませんか。
袖萩のあまりにも落ちぶれたようすに驚きつつもぴっしゃりと枝折戸を閉じるところへ、
今度は母の浜夕が腰元と連れ立って「犬でも入りましたか」と現れます。
浜夕もまた枝折戸の外に変わり果てた袖萩が来ていることに気が付いて驚き入り、
袖萩は目が見えない中でなつかしい母の声を聞きつけるもお互い何も言えず…
浜夕は「やっぱり犬でした…」と言いつつ悲しみに暮れるのです。
親に背いた罰でここまで成り下がったか…と浜夕が、
袖萩をそれとなく責めているのを聞きつけた腰元たちは、
あなたがたのような人が来るところじゃないから早く立ち去りなさいよ、と
何も知らずに袖萩親子を追い払おうとします。
しかしそこは母心…浜夕は腰元たちを止め、
ここで祭文を語って見せなさいと袖萩に命じるのでした。
それを聞いた袖萩は皮の破れた三味線を取り出し、
あらすじ②でお話したこれまでの苦しい日々、
そしてふたりの孫である娘のお君に一目会わせたい思いを涙ながらに語ります…
孫の威力というのは今も昔も猛烈なもので、
浜夕も直方も初孫会いたさにたまらず心を動かされますが、
直方はこれをぐっとこらえ「憎き奴め」と冷たく追い払うのであります。
ここまでの道のり、ひとびとから散々足蹴にされてきた袖萩は、
そのお怒りもごもっとも…と、おいおい涙を流してわが身の罪を悔いるものの、
もはや孫と思われなくとも、この子にたった一言で良いのでかけてやってください…と希います。
袖萩と一緒に頭を下げて頼む幼いお君のようすに浜夕はたまらず、
可愛や、可愛や…と言葉をかけてやるものの、
畜生のようなひどい母親から、よくもこう大人しく生まれてきたものだ…と
愛しさの裏返しで袖萩に強烈な言葉を浴びせかけるのでした。
このようすを見ていた直方はさらに追い打ちをかけ、
妹の敷妙は義家さまという立派な方と結婚したというのにお前ときたらなんだ、
どこの馬の骨かわからぬ下主下郎を夫にして、根性まで下衆女だ!と言い放ちます。
これまで何を言われても詫び続けていた袖萩でしたが、
夫を「げすげろう」などと言われては受け流すことはできません。
なぜなら、夫の出自の証拠をしっかりと所持しているからであります。
夫は元々きちんとした筋目の方なのですよ…と、
その証拠である書付を直方に見せることになりました。
しかしこれが、一家をさらなる悲しみに突き落としてしまうことになるのです…
一体どういったわけなのかというところで、次回に続きます!
参考文献:新版歌舞伎事典/日本大百科全書/金山町文化財 山入歌舞伎/義太夫協会
歌舞伎登場人物事典