ただいま歌舞伎座で上演中の二月大歌舞伎!
十三代片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言として上演されている
昼の部「菅原伝授手習鑑」は、三大狂言のひとつに数えられる名作中の名作です。
今月上演されているのは全五段にもなる長い物語の前半「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」の場面。
前回の上演は5年前ですので激レアというわけでもないけれども、比較的上演頻度は低めな場面といってよいかと思います。
と申しますのも、物語の後半に置かれているクライマックス「寺子屋」の場面の上演頻度が尋常でなく、
年に一度はどこかしらで上演されると言っても過言ではないのです。
歌舞伎の興行スタイルでは、この物語の事情は皆さんお馴染みなはず…という前提で、
いきなりクライマックスだけが上演されることが多くなっています。
それでも感動でき、なんかよくわからないがすごいぞ…!と思えるのも歌舞伎の醍醐味ではあるものの、
今月せっかく上演されているのですから、ぜひ全体の事情を把握していただきたいと思いました。
というわけで少し時間をかけまして「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」のあらすじをお話してまいります。
何らかのお役に立てればうれしく思います!
加茂堤
筆法伝授
御神の生けるが如き御姿、ここに残る物語
そもそも菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)とは、
1746年8月に人形浄瑠璃として初演されて人気となり、その翌月に歌舞伎化された演目。
天神様としておなじみ菅原道真の太宰府左遷と、
道真に大恩を受けた三つ子松王丸・桜丸・梅王丸の思いをからめつつ
さまざまな形での悲しい「親子の別れ」を描き出しています。
全ての悲しみの発端となる加茂堤の場面、
勘当した弟子の源蔵を呼び出し菅丞相が菅家秘伝の筆法を伝授するも
謀反を疑われ左遷が決定してしまう筆法伝授の場面を経て、
いよいよ前半のクライマックス道明寺の場面となります。
約2時間と長丁場で静かな展開ではありますが、
菅丞相の神々しさを筆頭に、見どころのたくさんある名場面ですので、
この機会にじっくりとお話してみたいと思います。
その⑤では、土師兵衛と宿禰太郎によるニセ迎えの悪事が全て明らかになり、
成敗されたところまでお話いたしました。
すべての騒ぎが決着し、いよいよ別れのときが迫ります。
覚寿がさきほど丞相さまの魂を宿した木像を障子屋台へ持ち込み、
このような不思議な例があるのかと問うところ、
丞相さまは平安朝や唐代の名画家の絵であったり木で作った神仏などの例を挙げ、
この木像にも私の魂が宿ったのでしょう…どうぞ形見と思し召されてくださいと語り、
木像に深く感謝して九字を切り、ふたたび魂を込めるのでした。
学問の神様となられる方ですからすばらしい博識ぶりであります。
「菅原道真の木像」というのは菅原道真が太宰府へ向かう途中、
大坂・河内で実際に彫ったと伝えられており、道明寺天満宮の御神体として今も祀られているもの。
そのエピソードから創作されたのが、「道明寺」の場面なのであります。
道具の鏡や刀までも残っているそうですので本当に本当に本人の手彫りなのかもしれませんが、
彫刻のプロでない道真公が自分の姿を木彫りで作るというのは相当に高度な技術を要するはずです…!
すえひろなどは美術大学時代の課題で煮干しの木彫を作ったものの、その仕上がりは散々でありました。
形見を残さんという一念が、並々ならぬ力を授けたのでしょうか…
いずれにせよ、菅原道真公の天才ぶりにはただただ驚くばかりであります。
お話が横道にそれましたので、舞台のお話に戻ります。
太宰府出立の前にいろいろと騒ぎがあり、思いがけず時間を取られてしまいました。
輝国はそろそろ出立を…と促し、菅丞相と覚寿は改めていとまごいをします。
なにやら覚寿から菅丞相へ、はなむけの品があるようです。
船旅の寒さを凌がせたいと伯母の心を焚きしめました…との言葉とともに、
運び込まれた品は、伏籠にかけられた苅屋姫の小袖。
伏籠とは、衣類を乾かしたり、衣類に香を焚き占めるための籠のことであります。
しかし菅丞相はこの品をさしとどめ、
中の香を嗅いではいませんが、名はおおかた伏屋か「苅屋」でしょう…
伯母御前より道真が申し受けた女子の小袖、私の身には合わぬはず…
身幅も狭き罪人が思いこのままにお預け申します…と語り掛けます。
実は覚寿がこの伏籠に忍ばせているのは、苅屋姫。
なんとか一目会わせてあげたい…とこうして連れてきたのでした。
菅丞相もその思いを察しています。
しかし菅丞相は斎世の君に憚り、苅屋姫に会うことは拒んでいるのです。
伏屋というのは実際にあるお香の名前。
伏屋と苅屋(姫)を並べ、「女子の小袖」と「女子の子」をかけ、
「身幅の狭き」女物の小袖と、罪人としての「肩身の狭さ」をかけることで、
苅屋姫に会わせたい覚寿の思いを察しながらも、断っているという会話です。
この会話を聞いてたまらなくなり、伏籠のなかの苅屋姫はワッと泣き声を上げてしまいます。
輝国もあからさまなるこのやりとりにすべてを察してはいるものの、
責め立てたりはせずにじっと感じ入って見守っている情の深いさむらいです。
覚寿はもう一目会ってあげてくれと懇願しますが菅丞相はそれでも、
今啼いたのはたしかに鶏、小鳥が啼けば親鳥も…と言って
辛い胸の内は忍ばれるものの直接苅屋姫の姿を見ようとはしません。
鶏が啼けば私は急がなければならない、鳥の鳴かない里はないものか…とだけ謡って、
いよいよ道明寺を去ってゆきます。
覚寿への感謝とお詫びをお辞儀にこめ、池を見込んで立田の前の死を悼み、
苅屋姫の気配を感じながらも素知らぬ顔で立ち去ってゆこうとしますが…
追いかけてきた苅屋姫の顔をただ一目見て、父娘それぞれに別れの時を噛みしめ、
道明寺の場面は幕となります。
花道まで歩んだ菅丞相が、娘の顔を一目見るために
袖を巻き袖にして顔を隠しながら見返る型は「天神の見得」と呼ばれるものです。
その少し前の義太夫の詞章にも
「道明寺とて今もなほ栄へまします御神の生けるが如き御姿、ここに残る物語」
とあるように、
菅丞相の人の道と神の道への分かれ目のような象徴的なシーンにも見えてまいります。
大変長くなってしまいましたが、
加茂堤・筆法伝授・道明寺までのざっくりとしたあらすじは結びとなります。
セリフや動きが非常に少ないなかで人間を超越した雰囲気を出す菅丞相のお役は、
どなたにでもお勤めになれるものではないため、上演の機会は非常に貴重です。
今回の上演でお見逃しになった方も、次回の上演が決まりましたらぜひにとおすすめいたします。
参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎オンステージ菅原伝授手習鑑/歌舞伎登場人物事典/十五代目片岡仁左衛門より 芸談集