先月上演されていた二月大歌舞伎!
あらすじのお話に回数を多く使いお話しきれなかった事柄がたくさんありますので、歌舞伎座の中止期間中を利用して少しずつお話してみたいと思います。
先月の歌舞伎座をご覧になった方にとってもそうでない方にとっても、なんらかのお役に立てればうれしく思います。
近松門左衛門の描く菅原道真
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)は、1746年8月に人形浄瑠璃として初演された演目。
大ヒットを受けて翌月に歌舞伎化され、現在に至るまで繰り返し繰り返し上演されている人気の作品であります。
物語のテーマとなっているのはさまざまな形での「親子の別れ」
現在も天神さまとして信仰されている菅原道真公(物語では菅丞相)の太宰府左遷を軸として、
菅丞相に大恩を受けた三つ子の松王丸・桜丸・梅王丸それぞれの思いを絡めて描き出されます。
3月に入ってから、現在は上演されなくなっているその恐ろしい結末と基となった伝説についてお話しておりました。
そもそもこの伝説の部分から物語が発展していったのではないかなあ…と思われましたので先行作について調べ、謡曲「雷電」と近松門左衛門「天神記」についてご紹介してきました。
「菅原伝授手習鑑」に直接の影響を与えた作品といわれている近松門左衛門「天神記」はおもしろい物語ですので、内容についてお話してみます。全五段になる長い物語ですので、ざっくりとまいりましょう。
初段では藤原時平が、唐から来た使者に悪さを吹き込み、「菅丞相は唐帝と通じて日本に反逆しようとしているとんでもない謀反人です」と言わせて菅丞相を追い込みます。ここでも時平はいきなりこのような調子です。
さらに宮中の舞姫 十六夜が時平の家臣の兼竹と恋愛関係になってしまい、生まれた子どもを花園に遺棄。菅丞相の御台所がその子を拾います。
この十六夜というのはなんと白太夫の娘であることが後に判明しますので、早くも波乱含みの初段ということになります。
二段目では、時平の策略の通り菅丞相が太宰府へと流されてしまうことになりますが、菅原伝授手習鑑の道明寺にもあるように、時平は家臣に太宰府へ向かう船上での菅丞相暗殺計画を命じています。
しかし時平の家臣である兼竹は、菅丞相の御台さまが自分の子供を育ててくださっていることが心苦しく、計画にのることはできないと辞退…
刺客の役を担った者が乗った船が出航してしまったところを妻の十六夜とともに追いかけ、身を挺してその船を追った十六夜は子どもとともに落命。兼竹は刺客を殺して妻子の敵を討ちます。
この段の重要なポイントとして、配流が決まった丞相さまの「たとえ死んだとしても、手習学問の守り神になろう」という言葉があります。既に人々の間で寺子屋の神さまとして親しまれているからこそ存在するくだりと思われます。
三段目になりますと、いよいよ白太夫の登場。
太宰府で菅丞相に仕えている白太夫は、兼竹が娘の小梅の婿になってくれないかなあと考えています。荒くれ者の息子・荒藤太に手を焼いているからです。
いよいよ兼竹と小梅の祝言の夜になりますと、十六夜の霊がやってきて再会。そこで兼竹は初めて、亡くなった妻の十六夜が白太夫の娘であったことを知ってしまうのです…!
そこに奇跡的なタイミングで、十六夜と子どもの遺体が運び込まれてきます。
もうたまらぬ兼竹は、「実は十六夜とこの子は我が妻子なのです…」と打ち明け、菅丞相暗殺計画について語ります。それを聞いた白太夫も大いに嘆き、ああ哀しやなあ憐れやなあ…おおおおお…という、いかにも人形浄瑠璃らしいエモーショナルな場面になります。
そこへ菅丞相が現れて、憐れな十六夜のために涙を流します…。不浄の場において、丞相さまに粗末な綱の円座しか用意できない白太夫の心中いかばかり。
と、またそこへ、荒くれ者の息子・荒藤太が現れて丞相さまを殺そうと打ちかかりますが、丞相さまは落ち着いて「東風吹かばにほひおこせよ梅の花…」と詠じ始めます。
するとその超人的なパワーで、そのあたりにふわふわもこもこと白梅の花を咲かせてしまいます!これがまた衝撃的なことに、丞相さまの姿を隠すほどだそうです!驚きです!
この三段目は非常におもしろそうではありませんか?
どのような演出であったのかなあと想像し、ワクワクしてしまいました。
続く四段目では、菅丞相が天拝山から時平への復讐をしようと祈りを捧げ、雷神になってしまうくだりが描かれます。
白太夫と小梅・兼竹、そして都から太宰府へやってきた御台さまと菅秀才が天拝山へと駆けつけるも丞相さまは既に息がなく、時すでに遅しという状況でありました。復讐のエネルギーはもう止められません…
場面は変わり、京都にいる菅丞相の師匠・法性坊のもとへ。
雷神になった菅丞相の霊が「今から時平に復讐をするので、命じられてもどうか内裏には行かないでください」と告げに来る場面です。
法性坊が断ると丞相の霊は怒って柘榴を噛み砕き、炎が上がります。このあたりは能の「雷神」で描かれていましたね。
実は法性坊の元にはすでに十六夜の霊が駆けつけていて、「雷神の従者となるため男にしてくれ」と言ったり、「私は師弟関係ではないので遠慮はない」と丞相さまに代わって法性坊を苦しめたりします。
十六夜という役どころの菅丞相への思いは非常に強く、まるで菅原伝授手習鑑の源蔵のようであり、松王丸・桜丸・梅王丸のようでもありますね。観客にとっては最も感情移入がしやすい役どころであったのではないでしょうか。
結びの五段目になりますと、いよいよ雷神となった菅丞相が内裏に雷を落としまくる場面です。
希世・清貫に雷を打ち落として殺害、さらに時平を雷雲の中に引き入れて二つに裂いて殺害(!)…菅丞相は時平をはじめ都で自分をおとしめた人々への恨みをさっぱりと晴らします。
すると口から金色の息がふわふわと出て「南無天神自在天神」の文字が出現(!)。
菅丞相の姿は衣冠束帯に、内裏は北野天満宮に変化、めでたしめでたし…という幕切れだそうです。
目にも楽しい仕掛けだった満載と思われる「天神記」、これはかなりおもしろそうだなあと個人的には思いました!すぐに歌舞伎に移されたのも納得です。
学問の神さまらしい発言があったり、身を挺してその命を守ろうとする人々がいたりするおかげで、菅丞相の恐ろしさばかりでなく、尊さも伝わってくるつくりです。
また白太夫とその子たちが登場することで丞相さまをめぐる人間関係が深まり、より深い思い入れを持つことができるのも魅力かと思います。
しかしながら、確かにこの物語は面白いのだけれども、菅丞相にちょっと人間味がありすぎるかもしれません。
都の人々を恨みに恨んで感情を爆発させたり、時平を裂いて直接的に殺してしまったり…と、菅原伝授手習鑑の菅丞相のような人間離れした崇高さとはやや遠いような気もします。
深い人間関係とともに描いて菅丞相への信愛を抱かせつつ、神格も感じさせることに成功している菅原伝授手習鑑は、やはり最も魅力的な芝居に仕上がっているのだなと納得いたしました。
やはり名作とされる狂言はいきなり名作になっているのではなくて、長い時間をかけて様々な工夫を加えた上でこの上なくおもしろく仕上がっているのですね…
各時代たくさんの方々の知恵が凝らされて出来上がっている現在の形を、最大限に味わいたいなあという思いをいっそう深めました。
参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎オン・ステージ 菅原伝授手習鑑/日本大百科全書(ニッポニカ)/天神伝説と演劇 松崎仁/歌舞伎登場人物事典