緊急事態宣言が発令されてしばらく経ちますが、みなさまいかがお過ごしでしょうか?
すえひろはといえば、松竹チャンネルや国立劇場チャンネルで無料公開されている動画をむさぼるように拝見しながら日々を過ごしております。
このような日々にあって歌舞伎を見ることができるよろこびたるや尋常でなく、無観客にて収録を行い芝居の映像を届けてくださったことには、ただただ感謝の思いでいっぱいです。
せっかくですので毎月劇場へ出かけていた時と同じように、備忘録として感想を残していきたいと思います!
三月大歌舞伎 雛祭り
今回は三月大歌舞伎最初の演目として上演されるはずであった「雛祭り」の感想を…
福助さんのお雛さまの美しさ、お元気そうなようすがうれしくてならず、演目全体のぽわぽわとした華やかさ、深刻さのかけらもない軽やかさも懐かしくってたまりません。そうだそうだ、一幕目の舞踊というのはこういう感じが多かったな…と猛烈なノスタルジーに駆られました。
内容的には、夢のように美しい舞台にお内裏様とお雛様が登場。
続いて三人官女、五人囃子、右大臣、左大臣が、お酒を飲んで酔っ払ったりしつつ、ひたすらに浮かれ舞い踊ったりし、
お内裏さまお雛さまがどーんと再登場してめでたしめでたし…というもの。
特に大きなテーマであったり、もっともらしいメッセージなどがあるわけではありません。
しかしながら、こんな舞台を春うららの歌舞伎座の座席で11時ごろから見物したらどんなにか心が晴れやかになったのだろうか…と思ったら、なんだかたまらなくなり涙が出てきてしまいました。
そんななか河竹登志夫先生が「新版歌舞伎」に書かれていた、歌舞伎と「慰み」についてのお話が象徴的に思い出されたので、記載しておきます。
近松門左衛門は役者の芸につき「慰み」になるべしといいましたが、この「慰み」の一字こそ、歌舞伎の社会的ありかたを示すキーワードといえるでしょう。
歌舞伎は近代劇のように、人生は何かといった問題を観客に投げかけたり、思想を吹聴したりする芝居ではありません。日ごろ幕府の圧政に苦しむ庶民の誰もがフィクションの世界に遊び、泣いたり笑ったりして「慰み」を得て人生を豊かにし、ひいては明日を生きるエネルギーを高める、歓楽の場だったのです。
出典:河竹登志夫「新版歌舞伎」東京大学出版会
※「問題」にはダブルクオテーションマークが付くがシステム上の事情により割愛
まさにこの歌舞伎の「慰み」こそが欲しいのだなとつくづく思います…
「雛祭り」の配信は4月26日(日)23:59:59まで。
せっかくの機会、どんどんシェアして楽しいおうち時間を過ごしましょう!
お話が変わりますが、本日20日新型コロナウイルスの影響により歌舞伎座向かいの老舗弁当店「辨松」が152年の歴史に幕を閉じました。辨松さんの存在というのは芝居見物の風景の一部であり、お店の方はもちろん長年のひいきの方の心の内を思いめぐらしますとなんともやりきれない思いです…。
多くの方にとって、歌舞伎のたのしみの中に「食」があるのではないでしょうか。
舞台で起きていたことだけが歌舞伎の思い出なのではなくて、朝の支度から幕間の食事の楽しみ、帰り道のお買い物など、芝居を見る一日の中のすべての出来事が歌舞伎の思い出だったのだと、近ごろつくづく感じます。
それらの集合体がひとつの文化そのものであって、何がなんだかよくわからないもののために150年以上もの歴史を持つ大切な文化が失われてしまったという悲しさ、悔しさを忘れません。
そしてもうひとつはうれしいニュース大阪松竹座 七月大歌舞伎の演目と配役が発表になりましたね。
昼の部「江戸唄情節」は、仁左衛門さんが大病からの舞台復帰の際、十三代から愛用の三味線を譲り受け、十三代がお亡くなりになった後にその大切な三味線を使ってお勤めになったというエピソードもある大変ゆかりの深いものであります。
今回は、東日本大震災が発生した2011年に大阪松竹座で上演されて以来の上演となります。公演の上演作品が決定した時期は不明でありますが、何か現在の世の中に対する前向きなメッセージのようなものを感じます。
無事に幕が開くかわかりませんが、どうか7月までにこの事態が終息し、上演が叶いますように。医療従事者の方の負担や生活に必要がお仕事に携わる方々がさらされる感染リスクを最小限にとどめ、一人でも多くの方の命が助かるよう、とにかくできる限り自宅で過ごすよう努めてまいりたいと思います!