昨今、部屋に散り散りになっていた本をジャンルごとにまとめる作業をしているなかで、「役者絵と描かれている演目、そして役者本人について調べて情報をまとめたい」という思いが抑えられなくなりました。途方に暮れてしまいそうな作業で遠ざけていたのですが、やるなら今しかなさそうです。
個人的な趣味で、備忘録がてらまとめておきます。随時情報を書き加えるつもりです。ご興味お持ちでしたらお役立ていただければ嬉しく思います。
前回:東洲斎写楽「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」
東洲斎写楽「初代市川男女蔵の奴一平」
出典:The Metropolitan Museum of Art パブリックドメイン
上演・・・寛政六年(1794)五月五日初日 河原崎座
演目・・・恋女房染分手綱
役名・・・奴一平
役者・・・初代市川男女蔵
内容・場面
恋女房染分手綱
いわゆる「重の井子別れ」に至るまでの前半冒頭。
由留木家の家臣・伊達与作の奴・一平が、同じく由留木家家臣の悪役鷲塚八平次に雇われた無頼の悪党:江戸兵衛から金子300両を奪われる場面。
初代市川男女蔵
生没年:未詳~天保4年(1833)6月7日(文政10年以前の説も)
名乗った期間:寛政1年(1789)11月~文政7年(1824)12月
屋号:滝野屋
名乗りの経歴:初代市川弁之助→初代市川男女蔵→市川弁蔵
当時の俳名:新升・新車・路鶴・海丸
二代目市川門之助の子 五代目市川團十郎の門弟
まとめ
浮世絵といえばこれというような名作「三代目大谷鬼次の奴江戸兵衛」と対になるシーンで、「赤襦袢」とも呼ばれます。左肩のあたりに市川團十郎家の紋・三升の中に男の一文字が書かれた男女蔵の紋がついています。
髪の乱れぶりと口角をぐぐぐと下げた表情が特徴的。いままさに悪人の江戸兵衛と対峙している善人の奴一平の、みなぎるような忠義の心が見えてくるようです。
が、絶対にこれからこの人は大事な用金を盗られるのだろうな…ということもビシバシと伝わってきます。初代男女蔵、脇役らしい絶妙な味わいであるなと思います。
それはそうとこの方には俳名が4つもあることも気になります。複数の俳名を使いこなしていることは珍しいことではありませんが、4つは割と多い方なのではないでしょうか。
全くの空想ですが、いくつもの俳句仲間のグループに所属してプライベートが充実していたのかなあ、などと想像し楽しくなりました。
あるいはゲン担ぎで名前をコロコロ変えるタイプだったり、お調子者だったり、断れない性格だったりしたのかもしれません。理由はさまざま考えられ、想像が尽きません。
ちなみに、現在では男女蔵の名跡につづき左團次の名跡を名乗る流れがありますが、これは四代目男女蔵が活躍した大正・昭和期以降のことのようです。二代目・三代目以降は男女蔵の名跡で終えており、その他代数不明の男女蔵が2人ほどいるようです。
参考文献:歌舞伎俳優名跡便覧 第五次修訂版/増補版歌舞伎手帖/写楽展/日本大百科全書