先週ストリートビューで「仮名手本忠臣蔵 五段目」の舞台である山崎街道を旅してみてから、なんとなく中村仲蔵のことを胸に置きながら日々を過ごしておりました。
そんななかで、さまざまな名人の落語「中村仲蔵」を聞き比べたりしてみようかな、などと思い立ち、調べているなかでいくつか動画を発見いたしました。
私は落語はまだまだ詳しくありませんで良い悪いなどとやかく言えないのですが、それでも素晴らしいなと感じ入るものばかりで、歌舞伎がお好きな皆様にもぜひとも共有したいと思い、ここにひとつまとめてみます。
落語「中村仲蔵」とは
そもそも落語の「中村仲蔵」とは江戸時代の歌舞伎界で起こった実際のエピソード。
名門の生まれではない役者・中村仲蔵は頑張ってようやく名題まで出世したものの、仮名手本忠臣蔵五段目の斧定九郎という役しか与えてもらえませんでした。
これが当時は名題がやるような役ではなく、下手をすればろくに見てもらえないかもしれない可能性がありました。さあ仲蔵はどうする…というお話です。
どんなピンチに陥っても腐らずに模索し続けること、そして「まずはやってみる」という行動力の大切さを教えてくれ、現代社会を生きる私たちにとっても大きなヒントを与えてくれるものであります。
出典:メトロポリタン美術館 パブリックドメイン
そんな「中村仲蔵」
前回は大河ドラマ「いだてん」ゆかりの二人の名人をピックアップしたのですが、今回はとりわけ好きだと思った八代目林家正蔵の中村仲蔵を2本ご紹介いたします。
八代目林家正蔵 中村仲蔵
晩年はその名跡を七代目の実子のの遺族に返上し彦六を名乗ったことから彦六の正蔵ともいわれる昭和の大名人であります。中村仲蔵は得意にしていた噺だそうです。
正蔵師匠の中村仲蔵で個人的にものすごく沁みるのは、魚河岸で自分の芝居が褒められているのを聞いて「あぁありがてえことだ…広い世間にたった一人、おいらの定九郎をいいと言ってくれたお客様がいる…」と感じ入っているくだりであります。
志ん生師匠のものですと師匠に褒められた時のくだりが胸に沁みて泣けたのですが、正蔵師匠のものはそこではなくて、魚河岸の一瞬ですでに役者として根本的に救われていることがありありとわかり、その後の仲蔵の役者としての心の置き方までが想像されるように思いました。
なんど聞いても泣けてしまいます…私も日々今までにないいい仕事をするため一生懸命工夫をしていこうと背中を押していただきました。
こうして聞き比べてみますと同じ噺でも名人によって少しずつ違っていて本当におもしろいものだなと思います。