新型コロナの外出自粛期間に始めた「Googleストリートビューで芝居の舞台となった場所とその周辺を訪ねてみる」という遊びをふと思い出し、本日もひとつ訪ねてみようと思います。みなさまもぜひご一緒にいかがでしょうか。
思い出したきっかけというのは、仁左衛門さん孝太郎さん千之助さんがご出演になった先日の歌舞伎家話 第五回で、芝居の舞台となった土地に出かけた思い出についての質問があったためです。
そのなかで孝太郎さんが「神霊矢口渡の舞台は独特(意訳)」とおっしゃっていたのが気になり、ちょっとそのあたりをうろうろしてみたいと思います。
事情があり画像そのものを貼ることができず地図埋め込みとなりますが、何卒ご了承くださいませ。
前回:髪結新三 編
神霊矢口渡とは
「神霊矢口渡」はエレキテルの発明や土用の丑の日のプロモーションなどで知られる江戸の天才、平賀源内が手掛けた江戸浄瑠璃であります。
矢口渡での新田義興の死後、追っ手を逃れてきた義興の弟・義峰に一夜の宿を貸した渡し守の娘・お舟が主人公。お舟は義峰に惚れてしまうのですが、父親が強欲で義峰の身に危険が迫ったため、わが身を犠牲にして義峰を守る…というお話です。
お舟の悲恋はもちろん、父親の強欲ぶりもまた見どころのひとつであります。
さっそく行ってみましょう
神霊矢口渡ゆかりの新田神社はこのあたりのようです。
芝居の舞台は川辺の渡し守の住まいであり、かつては神社のすぐそばが多摩川であったそうですが、現在多摩川からここまでは少し距離があるようです。
やってきました!ここが新田神社です!
そもそも神霊矢口渡は、武州矢口渡で横死した新田義興公の霊が雷神となったという新田明神の縁起から生まれた物語。
非業の死を遂げた新田義興公は、天変地異を起こすおそろしい怨霊からはじまり武運の御利益がある雷神さまとして祀られるという、いわゆる菅原道真公スタイルの神さまとして人々から崇められてきたそうであります。
まずはバーチャルお参りをしてから、境内を見まわしたいと思います。
武運の神さまらしく兜の絵が掲げられていますね。
なんでも平賀源内は、ここ新田神社の縁起をもとに浄瑠璃を書いただけでなく、破魔矢の元祖となる矢守のセールスプロモーションまで発案したそうですよ。
現在日本全国の神社で破魔矢が売られていることを考えますと、源内は本当にすさまじいアイデアマンであるなと恐れ入ります!!
神霊矢口渡も新田神社プロモーションの一環なのではないかと思われますが、真相はどうなのでしょうね。
源内が現代に生きていれば、おそらく時代の空気をいち早くつかむ力で起業などして社会をぐいぐいとリードしていたのではないでしょうか。
理系の教授であったり、広告代理店の重鎮、コピーライター、テレビのコメンテーター、文化人としてコラム執筆などもできたことでしょう。手掛けた新書が売れに売れているところが簡単に想像できます。
いや、文系にも芸術にも理系にも長けていたこと考えますと、もはや現代社会で思いつく職業の範疇ではないかもしれませんね。240年前の方ですが、2020年よりもはるかに先を行っていたのであろうなと想像します。
この奥に置かれている狛犬の先代の狛犬には、新田義興公が恨みを持つ畠山一族の人が近づくとウウウとうなり声を上げるという伝説があったそうなのですが、残念ながら姿がよく見えません。
自分は畠山一族ではないはずなのですが、万が一うなられてしまったら…と思うとゾクゾクいたします。
境内を見回してみますと、少しおそろしげなる御神木を発見いたしました…!
この御神木は樹齢700年にもなる欅の木だそうです!
江戸時代に半分が焼け落ちるほどの落雷を受けたそうですが、現在も元気に生きているとのこと…まさしく新田義興公の「神霊」のすさまじさを感じさせるような、不思議な木であります。
孝太郎さんがおっしゃっていた独特さというのはこの木のオーラから来るものでしょうか…
やはり現地に行ってみないと空気はつかめなそうですので、いつか上演の折にはぜひ出かけてみたいと思いました。
せっかくですので、最後に多摩川を見てから帰りましょう
ゴッホの絵のような美しさですね…!
神霊矢口渡のラストシーンの壮大な大道具が思い起こされる、素晴らしい風景でありました。