歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい与話情浮名横櫛 その七 四代目芳村伊三郎の恋物語

先日七いよいよ開幕した八月花形歌舞伎!待ちに待った再開であります。

先月より第四部「与話情浮名横櫛」について少しずつお話しております。

感染予防の観点から今回は筋書の販売が行われず、簡易版の配布のみになっていましたので、今回初めてご覧になる方にとって何らかのお役に立てればうれしく思います。

事実は小説よりも奇なり

与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)

1853年(嘉永6)1月 江戸・中村座で初演された、三代目瀬川如皐作のお芝居です。

ごく簡単に流れのみお話いたしますと、こういったものです。

①商家の若旦那・与三郎が、いい女・お富と運命の恋に落ちる

②しかし、実はお富は、危険な筋の男・赤間源左衛門の女であった

③デートの現場に乗り込まれた与三郎は刃物でメタメタに切られ、お富は海に身を投げて命を落とした

④数年が経ち、傷だらけの与三郎は落ちぶれ、ならず者となってしまった

⑤ある日与三郎が強請りたかりで入った家に、死んだはずのお富。なんとお富は、違う男の妾になって囲われていた…!

 

あらすじはこちらの回からお話しております。舞台の上で起こることが前後したり、上演のタイミングや配役によって細部が少しずつ変わることがあります。その点ご容赦願いたく存じます。

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とんでもない人物の恋人と恋仲になってしまい大変な騒動に巻き込まれるというのはいつの時代にも起こり得るお話ですが、このお芝居にも元ネタとされる実話があります。

なんでも、江戸歌舞伎の舞台で活躍した長唄の立唄・四代目芳村伊三郎の若いころの恋のお話だそうです。

随分と身近なところからネタにしてしまったのだなあ!と驚きますが、芸人であったことから実際に起こったことからはかなり誇張されて世に伝わり、そこからどんどんふくらまされて歌舞伎化に至っています。

 

与三郎の若き日の恋物語は、まずは創作講談を得意とした講釈師の乾坤坊良斎に講談化され、さらに初代古今亭志ん生が得意とし、そこから三代目桜田治助が芝居として脚色するも上演叶わず、三代目瀬川如皐によってようやく芝居の幕が開いた…という経緯をたどりました。

 

ただでさえ話が膨らんでいたうえにフィクションづくりのプロが何人も入っていますから、おそらくもう実際のラブストーリーは原形をとどめていないと思われますが、実説をご紹介いたします。

 

四代目芳村伊三郎は上総国は東金の紺屋の子として生まれ、美声であったため江戸へ出て長唄の師匠 三代目芳村伊三郎に弟子入り、伊千五郎の名で江戸歌舞伎の舞台で活躍しました。

 

若いころのあるとき、旅稼ぎで木更津へ行った伊三郎は、木更津あたりのボス的存在であった「あかし金左衛門」なる男のお妾さんであった「おまさ」という女性と知り合います。

このおまさという女は江戸の本石町、いまでいう日本橋あたりの生まれ。伊三郎と気が合ったようで、深い仲になってしまいました。

しかしその事実はあかし金左衛門にバレてしまい、伊三郎は体中をメタメタに切られ、命からがら江戸へ逃げ帰ったのです。

 

運命というのは不思議なもので、深川の祭礼にて二人は再会!

夫婦となって小伝馬町の新道に稽古場をかまえて暮らしたと伝わっています。

四代目芳村伊三郎の名を襲名してから一年あまりの弘化4年に伊三郎は48歳の若さで死亡、しかしおまさは明治11年ごろまで生きていたという説があるそうです。

お富さんのモデルが小伝馬町あたりで明治まで生きていた可能性があると思いますと、芝居の世界がぐっと身近に感じられるようですね。

 

 

参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎オンステージ 与話情浮名横櫛

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