先日いよいよ開幕した八月花形歌舞伎!待ちに待った再開であります。
先月より第四部「与話情浮名横櫛」について少しずつお話しております。
感染予防の観点から今回は筋書の販売が行われず、簡易版の配布のみになっていましたので、今回初めてご覧になる方にとって何らかのお役に立てればうれしく思います。
美声で知られた木更津の「蝙蝠安」
与話情浮名横櫛(よわなさけうきなのよこぐし)
1853年(嘉永6)1月 江戸・中村座で初演された、三代目瀬川如皐作のお芝居です。
ごく簡単に流れのみお話いたしますと、こういったものです。
①商家の若旦那・与三郎が、いい女・お富と運命の恋に落ちる
②しかし、実はお富は、危険な筋の男・赤間源左衛門の女であった
③デートの現場に乗り込まれた与三郎は刃物でメタメタに切られ、お富は海に身を投げて命を落とした
④数年が経ち、傷だらけの与三郎は落ちぶれ、ならず者となってしまった
⑤ある日与三郎が強請りたかりで入った家に、死んだはずのお富。なんとお富は、違う男の妾になって囲われていた…!
あらすじはこちらの回からお話しております。舞台の上で起こることが前後したり、上演のタイミングや配役によって細部が少しずつ変わることがあります。その点ご容赦願いたく存じます。
随分長々とお話してしまいましたが、与三郎の相棒である蝙蝠安について興味深いお話がありますのでそちらもご紹介したいと思います。
蝙蝠安は本来別の名前であったところを初演の与三郎である八代目團十郎が考案して生まれたキャラクターだそうで、初演で勤めた初代中村鶴蔵(のちの三代目仲蔵)の出世芸となりました。その後、名脇役の四代目尾上松助が得意として今に至ります。
市川家にちなむ文様として「蝙蝠」のモチーフが採用されたようですが、なんとこの蝙蝠安は実在した無頼漢の名前であった可能性もあるそうです。木更津のお寺に今でも蝙蝠安の墓が残っているそうですから、何やら信ぴょう性がありそうです…
実在した蝙蝠安は、木更津の油商・紀伊国屋の生まれで本名を山口滝蔵といい、太ももに蟹(コウモリの説もある)の入れ墨を入れている遊び人であったそうです。毎晩ふわふわと遊びまわっていることから「蝙蝠安」と呼ばれていたとか。
興味深いのが、蝙蝠安こと山口滝蔵が美声の持ち主で「花柳界の寵児」と言われた…という説があることであります。
与三郎のモデルである長唄の唄方・四代目芳村伊三郎は若き日、三代目伊三郎の門に入って伊千五郎を名乗っているころ、木更津に旅稼ぎに行ったとされています。ここで出会った顔役の妾・おまさとの恋が「与話情浮名横櫛」の元ネタという説があります。
伊千五郎の木更津での旅稼ぎの際もしかしたら、のど自慢の蝙蝠安と伊千五郎の間になんらかの交流があったのではないか?と勝手に想像しているのですがどうでしょうか…。伊三郎が生まれたのは寛政12年(1800)、蝙蝠安が没したのは慶応4年(1868)4月5日ですから、蝙蝠安の生年は不明なものの、同じ時代を生きた可能性はありそうですよね。
現在確かなソースから真偽を確かめることができずにおりますが、なにやら興奮してまいりました。
そんな蝙蝠安のお墓のある選擇寺(せんちゃくじ)は、このあたりのようです。
ここに行けば何らかの情報があるのでしょうか…興味があります…!
そして選擇寺ほど近くにある光明寺という寺には、なんと「与三郎の墓」なるものがあります。こちらは完全なるフィクションの人物のお墓であり、おもしろく思います。芝居によって木更津が全国区になり、その人気にあやかって聖地的に盛り上げたのかもしれませんね。
与三郎の墓には現在も歌舞伎役者の方々がお参りをしたり、卒塔婆を立てているそうです。蝙蝠安のお墓と併せて、いつの日かお参りしてみたいなと思います。
参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎オンステージ 与話情浮名横櫛/歌舞伎登場人物事典/まるごとeちば/選擇寺