ただいま歌舞伎座にて上演中の十月大歌舞伎。新型コロナウイルスの感染防止対策として幕間なしの各部完全入れ替え、四部制にて上演されています!
第二部「双蝶々曲輪日記 角力場」は先月の「引窓」の前の場面にあたる部分です。白鸚さんが濡髪長五郎を、勘九郎さんが放駒長吉をお勤めになっています。
前の部分を後から上演するというのは一体…と思われるかもしれませんが、それぞれが違った味わいの名場面として発展しているため、独立して上演されることが多いです。また、どちらも見ないとお話がわからなくなってしまうというようなことはありませんので、どうぞご安心ください。
先月「引窓」についてお話いたしましたので、今月も「角力場」のあらすじなどお話してみたいと思います。お出かけの際、簡単な予習などにお役立ていただければ嬉しく思います。
八幡の荒石長五郎
双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)は、1749年に大坂竹本座にて人形浄瑠璃として初演されたお芝居。江戸時代のスター職業のひとつである、おすもうさんを主役としている人気演目です。長い物語のなかで「角力場」「引窓」の場面が特に人気で、現代でもこの二つの場面が繰り返し上演されています。
ぬれかミ・はなれごま 一陽斎豊国 見立三十六句撰 国立国会図書館デジタルコレクション
「角力場」の内容を本当にざっくりと申しますとこのような具合です。
①頼りない山崎屋の若旦那与五郎と遊女の吾妻は恋仲にある。しかし吾妻は別の侍に身請けの画策をされている。
②角力小屋では素人の放駒長吉が人気力士の濡髪長五郎を負かし、大いに盛り上がる。
③取組のあと濡髪は、自分のひいきの与五郎が吾妻を身請けできるようわざと勝ちを譲った、どうか頼まれてほしいと放駒に打ち明ける。
④なぜ真剣勝負をして頼まないのだとカッとなった放駒は意地になり、二人はけんか別れになってしまう。
濃厚な展開があるわけではないあっさりとした筋なのですが、歌舞伎らしい色っぽさや華やかさが堪能できる人気の演目です。
その七では、人々のあいだでお馴染みになっていた吾妻と山崎与次兵衛のラブストーリーを大胆に設定変更し、おすもうさんたちの人間ドラマを加えたところが「双蝶々曲輪日記」の特色であるということをお話いたしました。
元ネタの吾妻と山崎与次兵衛も実在であったようですが、人間ドラマ要素として加わった濡髪長五郎も実在のモデルがいて、題材となった実際の事件がありますので、そのことについてもお話しておきたいと思います。
この方については「摂陽奇観」に記載されていますのでその内容を紐解いていきましょう。
濡髪長五郎の実在のモデルというのは、享保年間(1716~36年)に活躍したおすもうさんの荒石長五郎なる人物です。
八幡の里の浪人・都倉与惣兵衛の子として生まれ、今でいうわんぱく相撲の常連といったところでしょうか、幼いころから相撲が大好きであったようです。見込みのある子だったのか、八幡の相撲において面倒を見てくれていた荒石斧右衛門というおすもうさんの養子になり、荒石長五郎を名乗るようになったわけであります。
しかしながら長五郎はとにかく血の気の多い若者で、けんか三昧でありました。相手から刃物で斬りつけられても額が割れないよう、水に濡らした紙をおでこにあてて鉢巻をしていたので、「ぬれがみ」との異名をとるほどであったそうです。水に濡れた紙は刃物を通しにくいという昔の知恵であります。
見込みのある相撲少年であったはずの長五郎ですが、血の気の多さが仇となってしまいます。享保15~19(1730~34)年ごろ、難波裏にて服部惣左衛門というさむらいと喧嘩になり、服部を殺害。親元である八幡の里に逃げ潜伏しておりましたが、捉えられて入牢したとのことです。
「双蝶々曲輪日記」における濡髪長五郎は、相撲取りという設定、難波裏で殺人・八幡の里に逃げるという流れだけは踏襲されていますが、人物像は異なるように思われます。与五郎への恩のために苦悩し実の母とその養子を思う濡髪の人物像は、観客としても自然に心を寄せることができる見事なものであるなと思います。
参考文献:摂陽奇観/歌舞伎登場人物事典/新版歌舞伎事典/増補版歌舞伎手帖 渡辺保/床本集/もう少し浄瑠璃を読もう 橋本治/日本大百科事典/朝日日本歴史人物事典/摂陽奇観