歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

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やさしい一谷嫩軍記 熊谷陣屋 その十四 ざっくりとしたあらすじ⑤

ただいま南座で上演中の
京の年中行事 當る丑歳
吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎

第二部で上演される「熊谷陣屋」は歌舞伎屈指の名作で、今回は仁左衛門さんが主役の熊賀次郎直実をお勤めとあって大変話題を呼んでいます。

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過去のお話をいくつかピックアップしてみましたが、肝心の内容についてお話したりないのでざっくりとですがあらすじをお話したいと思います。お勤めになる方や上演時の条件によって前後したりカットされたりするものですので、その点は何卒ご容赦いただきたく存じます。

十六年は一昔

一谷嫩軍記(いちのたにふたばぐんき)は、1751年(宝暦元年)12月に大坂は豊竹座にて人形浄瑠璃として初演され、翌年の5月に江戸の中村座・森田座にて歌舞伎化された演目です。なかでも熊谷陣屋の段が名作として知られ、熊谷陣屋(くまがいじんや)として上演されています。

源平合戦の世、主君・義経から「一枝を伐らば一指を切るべし」というメッセージを託された熊谷次郎直実は、これを「後白河法皇の子である敦盛を守るため己の一子を斬るべし」と解釈。忠義のため大切な我が子を手にかけるという戦の世の悲劇であります。

重厚感に溢れ現代的価値観とも異なるため、初めてご覧になっても内容がつぶさにわかり共感できるというものではないかと思いますが、役者さんの芸の力によって理屈抜きに魂が揺さぶられてしまうような演目です。

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源九郎義経・熊谷次郎直実 俳優似顔東錦絵 一勇斎国芳

国立国会図書館デジタルコレクション 

 

④では、「一枝を伐らば 一指を剪るべし」の制札を受けた熊谷が我が子小次郎の首を敦盛のものして首実検を受けるという痛切極まる場面をお話いたしました。

 

そのようすを聞いていた梶原というさむらいが、頼朝にこれを注進してやろうと駆け出していったところ、弥陀六という石屋のおじいさんが工具を投げ、スナイパーのごとく殺してしまったという状況です。いきなり出てきた印象の弥陀六という人物は一体何者なのでしょうか。

 

そのままそそくさと立ち去ろうとした弥陀六を、義経が「待て親仁、弥平兵衛宗清待て」と呼び留めました。ハッ…なぜフルネームを…?と驚く弥陀六でしたが、いやいや私は弥陀六という者ですよ。とすっとぼけようとします。

しかし義経の目は誤魔化せません。弥陀六の眉間のほくろにはっきりと見覚えがあったのです。このおじいさんこそ確かに平治の乱の折、雪に凍える幼い頼朝・義経兄弟たちと母の常盤御前を助けてくれた平家のさむらい弥平兵衛宗清でありました。

 

見破られては仕方がありません。あのとき自分が頼朝義経兄弟を助けてしまったがために、今こうして鵯越は攻め落とされ、平家が衰退してしまったのだなあと悔やみながらこれまでの段々を語り出す宗清。亡き平重盛の命によって石屋に身をやつし、平家一門の菩提を弔うための石塔を建ててきたのだそうです。

 

そんな宗清に渡そうと、義経熊谷に命じて鎧櫃を持ってこさせます。鎧を入れるケースのようなものです。宗清がこの中を見てみますと、なんと生きている敦盛が入っていたのでした。宗清敦盛の姿を見て駆け寄ろうとする藤の方を制しながら、義経熊谷の心配りに深く感謝します。

 

我が子を手にかけて身代わり首として差し出し、妻が嘆き悲しむなか自分はぐっと堪えている、そんな熊谷の張り裂けそうな胸のうち、虚しさに打ちひしがれそうな心を察した義経は、戦中にありながらその暇乞いを許すこととします。

それを受けて鎧兜を脱いだ熊谷の身なりはすでにさむらいのものではなく、剃髪してお坊さんの姿になっていました。名前を蓮生と改め、手にかけてしまった小次郎を弔うため、旅に出ると決めていたのであります。

 

相模藤の方は「ご縁があれば」、戦場の男たちは「命があれば」と、互いに別れの挨拶を交わすなか、法然上人の庵へ向けひとり旅立っていく熊谷

大切な息子小次郎を育ててきた「十六年は一昔、夢だ」と言葉を残し、時に遠くの陣太鼓の音にさむらいの心を震わせながら、一歩一歩戦場を離れていくのでした。

 

長くなりましたが、ここまでで「一谷嫩軍記 熊谷陣屋」の場面は幕となります。

 

この上ない無常観の漂う、つらく悲しい救いのない物語であり、現代の感覚ではこんな理不尽なことを受け入れてよいのかとも思われる方もおいでかもしれません。当時のさむらいたちの在り方も本当のところはわかりませんし、あくまでも人々の間でもって、さむらい社会にはこんなつらさがあるのではないか…と想像していたとも思われます。

しかしたとえそうであっても、この演目が屈指の名作であることには変わりありません。この物語を生み出した作者の方々はもちろんのこと、代々この演目をお勤めになり時代を超え胸を打つドラマを練り上げ繋いでいった方々の力も、とにかく素晴らしいなと思います。

 

参考書籍:新版歌舞伎事典/国立劇場 文楽床本集 第一九六回文楽公演 平成二十八年九月/歌舞伎手帖 渡辺保/もう少し浄瑠璃を読もう 橋本治

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