歌舞伎ちゃん 二段目

『歌舞伎のある日常を!』 歌舞伎バカ一代、芳川末廣です。歌舞伎学会会員・国際浮世絵学会会員。2013年6月より毎日ブログを更新しております。 「歌舞伎が大好き!」という方や「歌舞伎を見てみたい!」という方のお役に立てればうれしく思います。 mail@suehiroya-suehiro.com

広告

煉獄さんの時代の歌舞伎 その三 帝国劇場の開場

近ごろは外国で新型コロナウイルスの変異株なるものが発見され、日本でも次々確認されているようです。新規感染者数が減少に転じる兆しは全くなく、果たして今後一体どうなるのであろうかという不安な年末ですが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。

このすえひろはといえば、外に出る機会を減らすべく買い出しに出たり、大掃除をするなどして過ごしておりました。大掃除といっても今年は半年くらいダラダラと大掃除をしていたような気がします。

それはそうと、映画「鬼滅の刃 無限列車編」の興行収入が歴代1位になったそうですね!近ごろは音楽の特番などでも拝見する機会が多いので、どうしても「煉獄さん=歌舞伎好き」という情報が頭に浮かんではワクワクしてしまいます。

 

鬼滅の刃をご存知ない方にざっくりとご紹介いたしますと、煉獄杏寿郎さんというのは現在公開中の映画無限列車編で大活躍する主人公の先輩です。さらに趣味は能・歌舞伎・相撲観戦という設定が公式に発表されています。

物語の舞台は大正時代ですから煉獄さんがお好きであったのは明治後期~大正初期の歌舞伎であろうと思います。このブログではご本人の芝居見物の記憶が残りはじめる時期を明治36年(1896)前後と仮定し、その時代の劇界のようすに思いを馳せている次第です。

鬼滅の刃の内容とは全くもって無関係なダラダラとした個人的趣味で恐縮ですが、引き続きこの時代の劇界のようすを調べていきたいと思います。

www.suehiroya-suehiro.com

www.suehiroya-suehiro.com

帝国劇場の開場

明治36年というのは歌舞伎界にとって特別な年であったようです。

岡本綺堂の「明治劇談 ランプの下にて」にもこのようにあります。

明治三十六年は明治の劇界に取って最も記憶すべき年であらねばならない。

明治二十年の井上外務大臣邸における演劇天覧と、三十六年における団菊両優の死と、この二つの事件は明治の演劇史に特筆せらるべき重要の記録である。(「晩年の菊五郎」より)

明治に入り急激に近代化・高尚化を推し進める歌舞伎は一般観客に思うように受け入れられず、新派の台頭、戦争といった脅威が続々と押し寄せ、綺堂曰く「孤城落日」の状況にありました。そのうえ稀代の名優2人が亡くなってしまったのですから、歌舞伎を愛する綺堂にはもはやこれまでと思われたのだと思います。

それでも今こうして歌舞伎が繋がっているのは、伝統芸能であるからとか国として保存すべきものであるからといった理由だけではなくて、各時代における一人一人が歌舞伎のため精一杯力を尽くしたからなのであろうなと思っています。なんと大切なものかとつくづく思います。

 

その二で、明治44年(1911)3月に開場した帝国劇場に出かけたことがあるのではないかと思われた、と申しました。煉獄さんの生年を明治29年(1896)前後と仮定しますと14~15歳ですから、記憶も鮮烈なのではないでしょうか。もっとも鬼殺隊に入隊した年齢や、入隊後の自由時間の程度がよくわからないのであくまでも仮定ですが…

 

帝国劇場はその名前からもわかるように、政財界の人々の並々ならぬ意気込みで建てられた劇場であります。大正12年(1923)の関東大震災で焼失するまでは、新時代を象徴する最新文化の拠点でありました。

現在のビル内にある帝国劇場は、外の劇場と特に大きな違いはありませんが、明治時代当時の帝国劇場はこれまでの芝居小屋文化、悪所のイメージを一新するルネサンス様式の「白亜の殿堂」だったのです。

大正時代に流行した「今日は帝劇、明日は三越」というコピーからも、当時最先端とされたムードそのものが感じられるように思います。山育ちの炭治郎が見たら腰を抜かすかもしれませんね。

 

さらに帝国劇場がおもしろいのは、芝居茶屋制度を廃止し前売り券式を導入したという点です。今では当たり前となっている「開演・終演時刻」や「座席番号」「チケット」といったものが日本の演劇界に導入された、最初期の姿というわけです。

それまでの芝居小屋での芝居見物といえば、一日がかりで終演時刻も定まっておらず、一人一人の座席番号というものもなく、芝居茶屋なる商売を通して席や食事を手配したりしていました。そのようなおおらかな観劇スタイルを近代的に秩序立てたことで、事前にチケットを買って定刻に劇場にさえ向かえば、誰であろうと等しく演劇を楽しめる時代がやってきたのであります。

 

現在放送中の連続テレビ小説「おちょやん」では、芝居茶屋の息子さんが「もうこの商売はなくなる」と予見するシーンがありました。欠かせない存在であったのに、今となってはドラマを見て想像するしかない芝居文化です。

滅びゆく芝居小屋と開場したての帝国劇場、どちらも体験してみたかった私としては、どちらも存在していた時代を歌舞伎好きとして生きた煉獄さんがうらやましいですね。勝手なイメージでなんとなく芝居小屋よりも帝国劇場の方がお似合いなように思いますが、芝居小屋が揺れるような大向こうもぜひ聞きたいところです。

ついつい長くなってしまいました。それでは、また折を見てお話したいと思います。

f:id:suehirochan:20201129164135p:plain

風船乗評判高楼 長谷川園吉 明治24

国立国会図書館デジタルコレクション

 

参考文献:新版歌舞伎事典/明治劇談ランプの下にて 岡本綺堂/明治演劇史 渡辺保/歌舞伎 研究と批評64/歌舞伎の近代化 中村哲郎/変貌する時代のなかの歌舞伎 日置貴之/芝居絵に見る 江戸・明治の歌舞伎 早稲田大学演劇博物館編/慶応義塾大学出版会 時事新報史/興行師列伝 笹山敬輔/国立国会図書館レファレンス

Copyright © 2013 SuehiroYoshikawa  All Rights Reserved.