昨日28日まで歌舞伎座で上演されていた六月大歌舞伎!
第二部「桜姫東文章 下の巻」は、四月に上演された「桜姫東文章 上の巻」の完結編でした。
桜姫東文章は、孝夫時代の仁左衛門さんと玉三郎さんが孝玉コンビとして熱狂を巻き起こした伝説の舞台で、お二人による上演は1985年いらい実に36年ぶりという奇跡の上演でした。千穐楽は二度のカーテンコールにスタンディングオベーションという異例の盛り上がりでありました。
この上演を記念して、上の巻に引き続きいくつかお話しております。上の巻の上演の際にお話したものはこちらにまとめてあります。
桜姫東文章とは
桜姫東文章(さくらひめあずまぶんしょう)は、大南北と呼ばれた江戸の鬼才・四世鶴屋南北の代表的な作品の一つです。
一言で申せば、愛した稚児を失った高僧・清玄と、自らを犯した釣鐘権助に惚れたお姫様・桜姫が、因果の渦に飲み込まれ転がり落ちていく物語であります。高僧は破戒して怨霊となり、姫は権助によって女郎屋に売られるという、複雑怪奇かつアウトローな世界観が魅力です。
その二では、70年代後半~80年代初頭にかけて起こった演劇史に残るムーブメント「T&T応援団」についてお話いたしました。SNSが発達し同じ趣味趣向を持つ人々の交流が容易になった現代に置き換えても、非常に特異な現象ではないかと思います。
2021年のいま仁左衛門さんと玉三郎さんの「桜姫東文章」を拝見できたのは、もとはと言えばT&T応援団の方々のおかげと言っても過言ではありません。感謝の念を深めております。
源氏雲拾遺 桜人 清玄・さくら姫(部分)一勇斎国芳
国立国会図書館デジタルコレクション
権助に小指がない理由
これまで初演時写本を補綴なさったという夕陽亭文庫さんの「櫻姫東文章」などをもとに、今回の上演内容に合わせてあらすじをお話してまいりました。
今回の上演では採用されていなかった設定に、夕陽亭文庫さんの「櫻姫東文章」に気になる描写がありましたのでご紹介したいと思います。
なんでも、「釣鐘権助には小指がない」というのです…現代人の感覚でもぐっと危険度の増す設定ですよね。該当箇所は「岩淵庵室の場」「山の宿町権助住居の場」です。
まず最初に登場するのは「岩淵庵室の場」。
庵室の中に清玄の遺体を発見してしまった権助が、そうとは知らずに怯える桜姫を「なにサ、怖くはないよ」となだめる場面です。
具体的な描写を少しこちらに引用させていただきます。
櫻姫、権助が小指のないのを見て、
櫻姫「小指はどうして。」
権助「これかへ。こりやア何サ。アノ、何だ。先度假宅で心中に切つたよ。」
櫻姫「ヲヲ怖は。」
権助「何サ、怖いことはないわな。怖がりなさるな。しかし、あんまり仏壇の方へ寄りなさんなよ。随分門口の方へ出て居なさいよ。忽ち帰るよ。」
ト門口へ出る。
假宅というのは、吉原遊郭が全焼して再建されるまでの間、官許を得て廓外に開いた仮営業所のこと。つまり権助は、そこの馴染みの女と愛を誓う心中立てをして小指を切ったんだよと言っているわけです。
恋しい人には既に深く言い交した女性がいる可能性があり、「ヲヲ怖は。」などと言っている場合ではないのですが、それも桜姫のお姫様らしさなのかもしれません。これが長浦であったなら、やきもちをやいて大騒ぎになっていたことでしょう。
しかしこの「小指がない」という設定が「山の宿町権助住居の場」で再び登場し、衝撃の事実が明らかになります。
権助が酔っ払って、都鳥の一巻を持っていることを口走ってしまう場面です。
こちらも具体的な描写を引用させていただきます。
櫻姫「シテ、その一巻が何故そなた(思入れ)、コレ、どうして持つて居るのだ。」
権助「これか、こりやア何よ、その持つて居た持主を、これこれ(思入れ)、
ト刀を取つて、
権助「この刀で殺したのよ。その時にこの小指を食われるやつサ。それからこの當地へ来ても、隅田川で十二三な若衆の餓鬼をぶち殺して。サア、尋ねられるは。こいつはみづかしいと、それから態を悪くして、屋敷奉公して居たは。なんと居つても斯う云ふ急度した金になる物を持つて居るもの。追付け釣鐘権助の守酒樽の呑佐と云ふ大名になるの。コレ、誰にも云ふまいぞよ、云ふまいぞよ。」
ト茶碗酒を吞みながら、思はず口走る。
つまり権助の小指がないのは、桜姫の父である吉田の少将が殺害される際に抵抗してか噛みちぎって食べたから、ということなのです。現場のすさまじさが想像され、ゾッといたします。
同時に、「岩淵庵室の場」の権助の言い訳の下手さもおもしろく思います。俺の女房だぞと話を合わせ、残月と長浦から根こそぎ奪った直後に、他でもない桜姫に向かって言うことでしょうか。確かに不要といえば不要ですが、権助の軽薄さがよく出ていて、おもしろい設定だなあと思いました。
参考文献:新版歌舞伎事典/歌舞伎手帖/櫻姫東文章/日本大百科全書
歌舞伎生世話物研究-『桜姫東文章』・『東海道四谷怪談』について― 渡辺荻乃
歌舞伎・清玄桜姫ものにみる「袖」のはたらき 松葉涼子
清玄桜姫物と『雷神不動北山桜』-『桜姫東文章』の場合- 山川陽子