今日の東京は梅雨寒でひんやりとしていましたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。湿気が多く体調を崩しやすい季節ですので、どうぞご自愛くださいませ。
先日まで歌舞伎座で上演されていた六月大歌舞伎の第二部「桜姫東文章」にちなみまして、歌舞伎ならではのことばについてお話しておきたいと思います。何らかのお役に立つことができれば幸いです。
世界が絡み合う「綯交ぜ」
「桜姫東文章」は、大南北と呼ばれた名作者・四世鶴屋南北の傑作の一つとして知られる演目です。
深い仲となった稚児 白菊丸と心中をしようとするもひとり死にきれずに生き残ってしまった僧 清玄が、十七年後にその生まれ変わりと思しき吉田家の息女 桜姫と出会い、彼女のために堕落して怨霊と化してしまいます。一方、お家取りつぶしの憂き目を見た桜姫は、自分を犯した盗賊 権助に恋をして、女郎にまで身を落としてしまい…果たして二人の運命やいかにという奇天烈な物語であります。
お話の筋がここまで複雑化しているのは、南北が得意とした歌舞伎の作劇法「綯交ぜ(ないまぜ)」が使われているためです。綯交ぜとは二つ以上の異なる世界をからみあわせる手法のことであります。
例えば桜姫東文章では、清水寺の僧清玄が桜姫の色香に迷って破戒し執念が桜姫に付きまとう「清玄桜姫物」と、隅田川のほとりで我が子を探す母と吉田家お家騒動を絡めた「隅田川物」の世界が採用されています。
江戸歌舞伎の興行形式は、一日の狂言を一つの大名題で通す一本立て、つまり一日一タイトルで上演するスタイルで、一番目は時代物、二番目は世話物という時代世話混合で上演されるのが基本でした。二つの全く異なるテイストの芝居を一つの狂言として一日で上演するのですから、時代と世話を一つの筋でつなげる必要があります。
加えて「世界」という考え方がありました。狂言の背景となる時代や事件が既に「世界」として定められていて、その基本的な筋や登場人物の関係性、展開までが類型として決まっていたのです。
つまり、お話を理解するための基本的事項は既に人々の共通認識の上に成り立っており、そのアレンジの妙「趣向」を楽しんでいたというわけです。この共通認識の部分が現代人とは違うので、歌舞伎は難しいという印象を与えてしまいがちなのではないでしょうか。
アレンジといっても、次第にネタは尽きてきます。そこで新味を求めて生み出されたのが、数種類の世界を縦横無尽に組み合わせる「綯交ぜ」であります。
現代の脚本家の方々がゼロからオリジナル作品を作るのとは違って、古典や伝説などをいくつも駆使してオマージュ作を作っていくイメージかと思います。
現代人の間である程度共通認識があると思われる人気漫画に例えますと、ドラゴンボールとワンピースと鬼滅の刃の基本的設定と登場人物と展開を組み合わせて、一つの狂言として上演するような感じ…でしょうか。めちゃくちゃですけれどぶっ飛んでいておもしろそうですね。
現代ではパクリすぎなどと言われて炎上してしまうかもしれませんし、著作権の問題も発生しますが、江戸時代においてはそういった概念はなかったようです。
南北は特にこの「綯交ぜ」を得意としたことで知られています。この手法は師匠の金井三笑から受け継いだものです。金井三笑もまた非常に興味深い人物ですので、また改めてお話できればと思います。
名作者の南北も誰かの弟子だったんだなあ…と、少し身近に感じられます。
参考文献:新版歌舞伎事典/世界大百科事典 第2版